エッセイ
私の書斎にある古い古い『二つの客間』という説教集に「星を見つめて」という素敵な文章がありました。東方の博士を救い主に導いた星、……その星がどんな星であったのか、今の私たちにはわかりませんが、はっきり言えることは、その星が、東方の博士だけでは…
神の御座の前に何万という人々が集まっていた。 その集団の前方にいたユダヤ人が怒りにも似た強い語調で叫び声をあげた。「神に俺たちを裁く権利など本当にあるのか?神に俺たちの苦しみがわかるのか。」彼らはシャツをたくしあげ、ナチスの収容所で受けた傷…
クリスマスツリーの始まりはと言うと、諸説ありますが、宗教改革者マルチン・ルターによって始められたとも言われています。彼がミサからの帰り道、森の中を歩いていると、夜空に瞬く星が、森の木々の枝に点っているように見えました。感動したルターは、家…
マタイの福音書1章22節にこう書かれています。「このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。」このあと、マタイの福音書に16回もくりかえし使われる決め台詞のような、とっておきのフレーズも、イエスが「律法や預言者…
イエス・キリストは言われました。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」ヨハネの福音書にはこの箇所のほかに「わたしは〜である」、ギリシア語の「エゴ・エイミ」という表現が6つ用いられていま…
クリスチャンが陥りやすい2つの傾向があると言われています。「純粋の孤立」と「妥協の埋没」です。前者は、信仰の純粋性を守ろうとする余り、いつのまにか周りから煙たがられて孤立してしまうことであり、後者は、この世と上手く付き合おうと妥協する余り…
私たちは弱く、迫害と聞くと恐れを感じます。今、教会と迫害の関係について考えてみましょう。十字架の前夜、最後の晩餐が終わった後、ゲッセマネの園に向かう道すがら、イエスは有名な「ぶどうの木の譬え」を語られました。それはイエスと弟子たちとの関係…
八福の第6番目は「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです」という幸いです。ここで使われている「きよい」とは、「透き通った水のような透明さ」「混じり気のない純粋さ」という意味です。神が求めている「きよい心」とは、罪のない心では…
八福の第3番目は、「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」という幸いです。詳訳聖書では「柔和な者〈穏やかな、忍耐深い、しんぼう強い人〉」と原語の意味をていねいに訳していました。クリスチャンの間では「柔和」という言葉に良いイメ…
秋期聖会のテーマは「今は怠ってはならない」でした。「わが子らよ、今は怠ってはならない。主はあなたがたを選んで、主の前に立って仕えさせ、ご自分に仕える者となし、また香をたく者とされたからである。」(歴代誌下29:11口語)この言葉は、ユダ王国の最…
八福の第2番目は、「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです」という幸福です。これも私たちの度肝を抜く内容です。ここで使われている「悲しむ」という言葉は、悲しみを表す最も強い言葉です。どうしてそんなにひどい悲しみの中にある者が幸い…
山上の説教は「至福(八福)の教え」と呼ばれる、8つの幸いに関する言葉で始まります。原文では、各節が「幸いです」と訳されているギリシア語の「マカリオイ」で始まります。その意味では文語訳聖書の「幸福なるかな」で始まる文章は良い訳です。最初の幸い…
イエスはガリラヤ湖のほとりを歩きながら、4人の漁師に目を留め、声をかけられました。「彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った」と聖書は伝えます。ここで言う「網」とは、彼らの日々の営みそのものであり、彼らの経験、常識、プライドとも言えます。彼らは…
荒野の誘惑のシーンから一転、イエスの物語は舞台をガリラヤに移します。いよいよイエスの宣教が開始される場面です。「イエスは……湖のほとりの町カペナウムに来て住まわれました。」このあと、イエスが「自分の町」と呼ばれる町、ガリラヤ湖の北部にあるカ…
バプテスマのヨハネから洗礼を受けた後、イエスは御霊に導かれて荒野に上って行かれます。悪魔の試みを受けるためでした。聖書学者のバークレーが、この物語を学ぶ私たちにアドバイスを与えています。「この物語を読むたびに必ず思い出すことがある。それは…
岸和田出身の世界的ファッションデザイナー、コシノ三姉妹の母、小篠綾子さんが洗礼を受けた日のことを、次女のジュンコさんが記しています。「三女のミチコがロンドンに留学のために旅立つ前日のことでした。その日、私たち三人は、向こうでのミチコの無事…
マタイはキリストの生涯を書き始めるにあたり、キリストに先駆けて登場し、まるでキリストが土俵にのぼる呼び出しをするように現れた人物を紹介します。それがバプテスマのヨハネです。バプテスマのヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯で、罪の赦しを得させる…
礼拝メッセージ「荒野で叫ぶ者の声」聖書 マタイの福音書3章1-12節マタイの福音書シリーズ(8)今日も朝から暑くなりましたが、皆さんが礼拝に集まって来られ、ともに礼拝を献げることができ感謝でした。パリ五輪が始まりました。パリの町と歴史を織りまぜた…
イエス・キリストは両親と共にナザレという町に住まわれました。マタイは「彼はナザレ人と呼ばれる」という預言が成就したと記しています。ところが旧約聖書にはそのような預言を見い出すことはできません。そもそも、ナザレという町が、旧約聖書に一度も出…
東方の博士たちはバビロンかペルシャから来たと考えられています。この人たちのことを「マギ」とよんでいる記録もありますが、マギはペルシャにおいては、祭司の家系で、イスラエルにおけるレビ族と同じ立場にありました。マギたちは、哲学や自然科学に秀で…
マタイが伝えるイエスの命名に関する記事には、この幼子が何のために生まれるのか、その使命が教えられています。天使は告げました。「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」イエス…
「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」という言葉で始まるマタイの福音書は、新約聖書の第1ページを飾るのにふさわしい内容です。そもそも新約聖書は27巻の書物を1冊にまとめたもので、著者は複数おり、執筆された場所も年代もいろいろで…
羊飼いの少年だったダビデは、サムエルから油を注がれ、王としての召しを受けます。波瀾万丈の生涯でしたが、ようやくエルサレムを王国の都と定め、神の箱を運び込んだ頃、ダビデは考えました。「自分は立派な王宮に住んでいるのに、神の箱は相変わらず天幕…
創世記17章において、「我は全能の神なり」との御名によって、アブラハムに現れた神は、彼との契約を更新されました。「わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、…
「私の血の中を流れる罪をハッキリゆるすと言ってくれる権威あるものがほしいのです。」小説『氷点』の主人公・陽子の叫びの裏側で、「誰もが求めているその権威あるものがある」と言うのが、三浦綾子さんが『氷点』を通して伝えたかった渾身のメッセージな…
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は…
堺に来て最初のペンテコステを終え、先日の礼拝でこんな話をしました。「6月から毎週の礼拝で『マタイの福音書』をシリーズで学ぶことにしています。毎週、福音書からのメッセージなので、必ずイエス様が登場します。ですから、毎週、礼拝に来ればイエス様に…
偉大な使徒パウロは、私たちの内に与えられている聖霊について、それは計り知れない神の力であるということを、くり返し教えます。実際、彼はその力を生かして、あの素晴らしい神の働きを行いました。そこで質問です。私たちに与えられている聖霊と、パウロ…
サマリアの女が毎日井戸に水を汲みに来ても、すぐに空っぽになってしまう水がめ。それは彼女の満たされない心を象徴しています。人間には本能的に二つの渇きがあると言われます。肉体の渇きと、霊魂の渇きです。オウガスチヌスという神学者は、著書「告白録…
ある新聞のコラムで、劇作家の平田オリザさんの言葉が紹介されていました。「ディベートは、話す前と後で考えが変わったほうが負け。ダイアローグは、話す前と後で考えが変わっていなければ意味がない。」ディベート(討論)とダイアローグ(対話)の違いに…