土の器

宮本牧師のブログ

エッセイ

自分では収めきれない私

ある説教者がヨハネの福音書21章を「偉大なる蛇足」と呼びました。その内容はペテロの再召命、全き献身です。私たちは自分の器では収めきれない試練、悲しみ、苦悩を経験することがあります。イエスの十字架の前夜、三度もイエスを知らないと言ったペテロも…

トマスのために

復活されたイエスが弟子たちに現れてくださった時、そこに居合わせなかった弟子がいました。デドモと呼ばれるトマスです。あの日から1週間、トマスはどんな気持ちで弟子たちのところにとどまり続けたのでしょうか。 復活されたイエスは、弟子たちに「ガリラ…

くするぶる燈心

「二人は暗い顔をして……」。主の十字架という、凍りつくような経験が、二人の弟子の心を曇らせていました。彼らは言います。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司…

歓喜、狂喜、陶酔、有頂天

キリストが復活されたイースターの夕べのことでした。弟子たちはユダヤ人を恐れ、自分たちのいる家の戸に鍵をかけ、絶望の中に座り込んでいました。するとそこへイエスが来て真ん中に立ち、「シャローム(平安があなたがたにあるように)」と言われたのです…

本来あるべき姿

イエスがエルサレムに入城された後、神殿の境内で見た光景は、本来あるべき神殿の輝きがまったく失われたものでした。なんと悲しいことでしょう。イエスは失われた神殿の輝きを取り戻すために、全力で御自分の住まいである神殿を清められたのです。本来ある…

いつも全力を注いで

深草での4年間の働きを終え、新任地に出発しようとしています。コロナ禍で集会を閉じたり、礼拝を分散で行ったり、普通ではない4年間でしたが、主の憐れみと、いつも祈ってくださるみなさんに支えていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。堺でも、初…

あなたの渇きは終わった

「わたしは渇く」これはイエスが十字架の上で語られた7つの言葉の5つ目です。イエスは、人類が自らの罪の罰として当然受けなければならなかった裁きを、代わりに十字架の上でお受けになりました。イエスが十字架上で経験された渇きと苦しみは、肉体の渇きや…

ただ一度のまなざし

「あなたは私の心をうばった。私の妹、花嫁よ、あなたは私の心を奪った。ただ一度のまなざしと 首飾りのただ一つの宝石で。私の妹、花嫁よ。あなたの愛は、ぶどう酒にまさって麗しく、あなたの香油の香は、すべての香料にまさっている。」(雅歌4:9-10)雅歌…

見よ、この人だ

讃美歌「まぶねのなかに」は、日本の賛美歌の発展に貢献された由木康牧師(「きよしこの夜」や「血汐したたる」を訳された先生)が作詞されたメイドインジャパンの讃美歌で、ヨハネ福音書19章5節の御言葉をモチーフに、「この人を見よ」という歌詞がくり返し…

愛は多くの罪をおおうからです

ヨハネの福音書21章を見ると、ガリラヤ湖畔で、復活されたイエス・キリストが弟子たちにご自分を現された時のことが詳しく記されています。奇跡の大漁を経験した弟子たちが陸に上がると、炭火がおこしてあり、朝食の準備が整っていました。イエスを囲んで朝…

進み出て

ヨハネ福音書には、有名なゲッセマネの祈りと呼ばれる場面がありません。マタイも、マルコも、ルカも、カメラのフォーカスを丁寧に合わせて、細心の注意を払って映し出したイエスの苦悶する表情を、ヨハネだけは捉えませんでした。すでに17章で別の祈りを記…

心を断ち割って

アントニー・デ・メロ神父が書かれた『蛙の祈り』という題の書物があります。こんな話から始まります。ある夜、兄弟ブルーノが祈っていると、蛙の鳴き声がうるさくて気が散り、祈ることができず、「静かにしろ、祈っているのだから」と一喝しました。すると…

わたしはある

聖書が伝えるモーセの生涯は実に波瀾に満ちています。40歳になったとき、エジプトで奴隷として虐げられている同族イスラエルの民を助けようと思い立ちますが、苦い失敗と挫折を経験し、逃亡者となり、荒野で羊を飼う者となりました。かつてはエジプトの王子…

水が出ました

アブラハム契約の正統な後継者、二代目イサクは、偉大な信仰の父と、波乱に富んだ生涯を送ることになる息子ヤコブという二人の強烈な個性に挟まれて決して目立つものではありません。しかし、私たちの記憶に残るような出来事が、聖書の中に書き留められてい…

まことの礼拝者

イエスとサマリアの女の対話が続きます。「夫をここに呼んで来なさい」と言われた彼女は「私には夫はいません」と、ありのままを言いました。ここから礼拝についての問答が始まります。女は言いました。「私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがた…

対話

ある新聞のコラムで、劇作家の平田オリザさんの言葉が紹介されていました。「ディベートは、話す前と後で考えが変わったほうが負け。 ダイアローグは、話す前と後で考えが変わっていなければ意味がない。」(平田オリザ)ディベート(討論)とダイアローグ(…

影響力

その始まりは小さくてもキリストの誕生は人類史に計り知れない影響をもたらしました。 哲学の父ソクラテスは40年、その教えを説きました。弟子のプラトンは50年、その弟子のアリストテレスは40年。人類の思想に最大の影響を与えた三大哲学者は、130年間の長…

沈黙のなれかし

マタイの福音書は冒頭の系図に続き、イエス・キリストの誕生にまつわる記事を記します。父となるヨセフの立場で書かれているのが、マリアを中心に描いたルカとは異なります。当時のユダヤの習慣では、婚約者は普通1年程度の婚約期間を経て結婚生活に入ること…

神が人となられた理由

少し前のことですが、「日本人なのに”ありがとう”の反対語を知らなかった」という文章がネットで広まりました。ありがとうの反対語など今まで考えたこともなかった。 教えてもらった答えは……「あたりまえ」。 「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」。 「有…

泣きたいほどの神秘性

イエスが自ら語られた聖霊の派遣とその働き(使命)が続きます。「その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを…

両刃の剣

ユダヤ人青年とクリスチャンが新約聖書について議論していました。新約聖書は神の言葉ではないと主張するユダヤ人青年にクリスチャンは、ヘブル人への手紙4章12節「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊を刺し貫く」という言葉を読…

その方が来ると

ヨハネの福音書の16章を学び始めましたが、イエスがいなくなると語られた上に、襲いかかるであろう憎しみと迫害の予告を聞き、弟子たちの心は動揺し、悲しみで満たされましたが、イエスはもっと大局を見ておられました。「しかし、わたしは真実を言います。…

アバ、父よ

主の祈りは、「天におられるわたしたちの父よ」という、愛と信頼に溢れた神への親しい呼びかけで始まります。放蕩息子の物語ではありませんが、「私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」というのが…

教訓

有名なノアの箱舟の物語をご存知ですか? 創世記の7章、8章に記されている物語です。以下、ノアから学ぶ教訓です。1、船に乗り遅れないように。2、人は皆、同じ船に乗るのです。 3、前もって計画するように。ノアは雨が降る前から箱舟を造り始めました。4、…

この世にあって、キリストの証人として

「世」という言葉は、ギリシア語の「コスモス」ですが、ヨハネ福音書に77回、特に13章から17章までに44回も出てくる言葉です。おおよそ3つの意味があり、文脈によってその意味を見分ける必要があります。第1に、この宇宙という意味です。第2に、宇宙の中で最…

これが私の舞台だ

東日本大震災から13年が過ぎましたが、震災の4年後に福島のいわき市にある小さき群れ教会を訪れました。その時、すぐそばに建てられた教会を紹介していただきました。福島第一原発の最も近くに立っていた教会で、避難して来られ、新しい会堂を建てられたとい…

大きな愛に生きる、小さな一歩

『聖母の騎士』というカトリックの雑誌に、一人の弁護士の方が「現代の菩薩」という寄稿をしている記事を読みました。その方は熱心な仏教徒ですが、「現代の菩薩」の例として三人のクリスチャンを紹介し、「以上に述べた現代の菩薩たちは、すべてクリスチャ…

わたしの愛にとどまりなさい

「父がわたしを愛されたのと〔ちょうど〕同じようにわたしはあなたたちを愛した。……<わたしとともに父の愛のうちにとどまりなさい>。」ここでとどまるように言われている愛とは、「父がわたしを愛されたように」という愛です。それは「わたしが父の戒めを…

命二ツ

松尾芭蕉の旅日記『野ざらし紀行』に、滋賀県は甲賀市水口という東海道の50番目の宿場町で詠まれた句があります。「命二ツの中に生きたる桜哉」。 この句には、前書きがあって、「水口にて二十年を経て故人に逢ふ」と書かれています。ここで言う故人とは、昔…

天の都を目ざして

8月最後の礼拝で、青年たちが制作した『天路歴程』をご覧いただきました。ジョン・バンヤンの名著『天路歴程』は、17世紀に書かれた古典的キリスト教文学です。イギリスでは、聖書の次に大切な本だと言われていますが、世界中のクリスチャンに愛読され、部分…