土の器

宮本牧師のブログ

大いなる救い

メッセージ「大いなる救い」宮本裕美先生

聖書 創世記45章3-7節

 

今週は創世記からヨセフ物語を通して、神の大いなる救いについて学び教えられました。

今週も礼拝の恵みに感謝。

 

アンコール合唱団の来日公演2026、最初のコンサートが昨晩、吹田でもたれました。祈りと愛に満ちたホールに、美しい歌声が響きました。

 

 

ヨナのしるしを信じますか

預言者ヨナの物語をご存知ですか。魚に呑み込まれた話は、あのピノキオのモチーフにもなっていると言われていますが、ヨナは紀元前8世紀ごろ、北イスラエルで活躍した預言者です。ヨナとは鳩という意味で、素直そうな名前ですが、その名とは裏腹に自我の強い激しい性格をもっていました。一般に聖書の預言書は、神が預言者に言葉を語り、それを預言者が人々に知らせたことを記した書ですが、ヨナ書は、ヨナの預言活動について書かれているユニークな書です。
ある日、主の言葉がヨナに臨みました。「立ってあの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」青天の霹靂とはまさにこのことです。ニネベはアッシリア帝国の首都でしたが、彼らの悪は天に達するほどでした。ヨナは愛国心が強く、選民としての誇りをもっていたので、罪に満ちた異邦人の国へ行き、主の言葉を彼らに語ることに不満を覚え、主の御顔を避けて、ニネベとは正反対のタルシシュに逃れよとしたのです。ところが、神は大嵐を起こし、ヨナの行く手を阻まれます。船は今にも沈みそうになり、船に乗っていた人たちは、必死で自分の信じている神々に祈り、荷物を海に投げ捨てました。それでも嵐は収まらず、今にも船は沈みそうです。困り果てた人々はこの災が降りかかったのはだれのせいか、くじによって知ろうとしました。くじはヨナに当たります。ヨナは自分の非を人々に知らせ、自分を海に投げ込めば嵐は静まると言いました。人々がためらいつつ、でも言われた通りにすると、ほんとうに嵐は静まりました。
ヨナはどうなったでしょう。「主は大きな魚を備えて、ヨナを呑み込ませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。」ヨナ書の2章にはヨナが魚の腹の中で祈った祈りが記されています。ヨナは言います。「私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえ(つまり礼拝)を献げます。救いは主のものです。」主の御顔を避けたヨナのうちに、賛美と礼拝が回復されたのです。この経験がキリストの死と復活になぞらえ、ヨナのしるしと呼ばれているわけです。
すると主は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させました。そして再び「立ってあの大きな都ニネベに行け」と命じられたのです。ヨナは主の言葉通り、ニネベに行き、「あと四十日すると、ニネベは滅びる」と、神の審判が迫っていることをニネベの人々に知らせました。するとどうでしょう。それを聞いたニネベの人たちは、身分の高い者から低い者まで、罪を悔い改め、神を信じたのです。
イエスが「ニネベの人々が、さばきのときにこの時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです」と語られたのはこのことです。ヨナの宣教によるニネベの町のリバイバルです。ヨナは一つの奇跡も行っていませんが、大魚に呑み込まれ、そこから生還したことによって、彼自身がキリストの死と復活のシンボルとなりました。
あなたはヨナのしるしを信じますか。

 

無私の愛をもって

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
ローマ人への手紙12章1−2,11節

A合唱団の来日公演が始まります。世界は理由のない憎しみの渦の中で、あてどもなくさ迷っていますが、私たちは無私の愛、無条件の愛をもって合唱団をお迎えしたいです。
イスラエルの賢者たちは、紀元70年にエルサレムの神殿が崩壊した原因を、理由のない憎しみによると言いましたが、神殿を再建するためはその逆の方法を取らなければならないとも言いました。私たちは人の手によらない、永遠の神殿を建てようとしています。それは無私の愛によって建てられるのです。

 

ヨナとニネベの人々と私

7月のオープン礼拝
メッセージ「ヨナとニネベの人々と私たち」
聖書 マタイの福音書12章38−41節
マタイの福音書シリーズ(73)

マタイの福音書は12章から、安息日に関する論争をきっかけに、イエスと宗教指導者たちとの対立の構図を鮮明に描き始めました。今日のテキストも、そこから始まった新たな論争と対立の一幕です。律法学者とパリサイ人のうちの何人かがイエスに言いました。「しるし(確かな奇跡)を見せていただきたい。」コリント人への手紙の中で、パウロも「ユダヤ人はしるしを要求し」と記していますが、神の選びの民であるユダヤ人にとって、神から遣わされたという人に対して、しるしを要求するのはある意味、当然のことでした。しかし、この日、イエスのもとに来た宗教家たちがしるしを要求したのは、信じるためではなかったのです。安息日の論争に続き、ベルゼブル論争であっけなく論破された彼らが、「しるしを見せていただきたい」と言っても、それで信じられるとは思えません。かえって、言いがかりをつけ、イエスを失脚させる材料を得るために、「もっと奇跡を」と言っている様な感じがします。イエスも彼らの悪巧みをご存知でした。そこで「悪い、神に背いた時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし預言者ヨナのしるしは別です」と言われたのです。「預言者ヨナのしるし」とは、「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるのです」とあるように、イエス・キリストの死と復活を指しています。これが神から私たちに与えれている唯一のしるしなのです。

今週も礼拝の恵みに感謝。

 

接ぎ木

イエスはパリサイ人たちの言葉による中傷を厳しく戒め、それは悪い心の思いから出てくるもので、「人は、口にするあらゆる無益なことばによって、さばきの日に申し開きをしなければなりません」と警告されました。
ある人がこのテキストから「甘柿と渋柿の法則」ということを教えていました。私たちは、心にあることを言葉や行動を通して外に表します。つまり内側にあるものが外側に現れるということです。柿の木を思い出してください。ある木には渋柿がなり、ある木には甘柿がなります。似たような木なのに、なぜ結果がちがうのでしょう。その理由は、木が持っている性質にあります。渋柿の性質をもっている木には渋柿が、甘柿の性質をもっている木には甘柿がなるのです。
残念なことに、生来の私たち(罪に支配された私たち)は渋柿のようです。アダム以来、人の心の内側には苦々しい思いが満ちていて、そこから悪い考えが出てきます。それでも私たちは良い人であろうと努力し、良い人を演じます。でもメッキはいつか剥がれるものです。どんなに外側を取り繕ってみても、内側が変わらなければ、渋柿は渋柿のままです。では、どうしたらいいのでしょう。私たちは甘柿にはなれないのでしょうか。山本周五郎さんが書いた『赤ひげ診療譚』の中にこんな一節があります。「毒草から薬を作り出したように、悪い人間の中からも善きものを引き出す努力をしなければならない。」赤ひげ先生が悪人を助けることに何かが間違っていると疑問を抱く場面で語られる言葉ですが、イエス・キリストは、私たちの内側にある悪の根を断ち切り、自らのいのちを接ぎ木することで、私たちのうちから善きものを引き出そうとされたのです。パウロは言いました。「だれでもキリストにうちにあるなら(キリストに接ぎ木されるなら)、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

 

少女よ、起きなさい

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
マルコの福音書5章35−36,41節

会堂司ヤイロが危篤の娘のためにイエスの前にひざまずく姿は、私たちに執り成しの祈りを教えます。愛する者が瀕死の状態にある時、私たちはどうすればよいのでしょうか。
今週は、アンコール合唱団の来日公演を前に、8月にもたれる全国中高生大会で取り組まれるリバイバル・メッセージ「少女よ、起きなさい」に取り組みました。

甘柿と渋柿の法則

礼拝メッセージ「甘柿と渋柿の法則」
聖書 マタイの福音書12章33−37節
マタイの福音書シリーズ(72)

イエスは安息日に右手の萎えた人を癒やした後、多くの病人が癒やされました。ある時、悪霊につかれて目が見えず、口も聞けない人が癒やされました。群衆が驚いて「もしかすると、この人がダビデの子ではないだろうか」と言い始めたのです。すると、パリサイ人たちはそれを躍起になって否定し、イエスの奇跡は、悪霊のかしらベルゼブルによるのだと言い出します。イエスはそれを一蹴し、彼らの主張の間違いを指摘し、「わたしが神の御霊によって悪霊を追い出しているなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているです」と宣言されました。その上で、神の御霊の働きを悪霊のしわざであると難癖をつけてきたパリサイ人たちの罪について、その罪は「この世でも次の世でも赦されない」と、厳しい言葉で戒めらました。
こんなパリサイ人たちとのやり取り、彼らの一連の発言とその態度を受けて、33節以下の言葉が続きます。「木が良いとし、その実も良いとするか、木が悪いとし、その実も悪いとするか、どちらかです。木の良し悪しはその実によって分かります。」
今週も礼拝の恵みに感謝。

 

昨日6月26日は聖イエス会の創立者、大槻武二牧師(1906-2004)の生誕120年の記念日でした。大槻先生の自伝に次のように書かれています。
「見わたすかぎり奥丹波の田園は、稲苗がみごとに植え付けられ、初夏の強い太陽の光線をいっぱいに受けて緑色に映え、山の木々は新緑に萌えいで、生きとし生けるものみな生の歓喜を歌うころ、時は1906年6月26日、かかる季節のもとに、私は呱々の声、生の歓喜の第一声をあげたのである。」(『若き日の大槻武二』)
綾部市白道路の大槻先生の生家のすぐ近くに極楽寺というお寺があります。そこに咲く大賀蓮は2千年の眠りから覚めた蓮の花として知られていますが、大賀蓮のことをご存知ですか。1952年(昭和27年)のこと、関東学院大学の教授であった大賀一郎博士は、千葉県検見川遺跡を発掘調査中、地下6メートルの泥炭層で二千年前のものと思われる蓮の種を発見し、その種から花を咲かせることに成功しました。キリストの時代に咲いていたその花は、大賀蓮と呼ばれるようになりました。
種というものは小さく、まるで死んだように見えますが、その種の中には命が宿っているのです。しかし、その種も大賀博士と出会わなければ、いつまでも深い泥の中に埋もれたままだったかも知れません。私たちの内に与えられている御名も同じです。復活であり、命であるキリストとの出会いによって、神の種が復活し、みごとな花を咲かせますように。
余談ですが、大賀博士は、あの内村鑑三の弟子で、札幌農学校で植物学者であったクラーク博士から学んだ内村鑑三に植物学の道に進むように勧められたそうです。大賀博士の墓には次のような言葉が刻まれています。「ハスの花に神の栄光をたたえて。大賀一郎、ここに眠る。復活のラッパの鳴らん時まで」