土の器

宮本牧師のブログ

幸福なるかな、悲しむ者

礼拝メッセージ「幸福(さいわい)なるかな、悲しむ者」
聖書 マタイの福音書5章2−10節
マタイの福音書シリーズ(14)山上の説教(2)

星野富弘さんの詩画の代表的作の一つは「悲しみの意味」です。

冬があり 夏があり
昼と 夜があり
晴れた日と 雨の日があって
ひとつの花が 咲くように
悲しみも 苦しみもあって
私が私になってゆく

とても味わい深い詩です。星野さんの作品のすばらしいところは、すべてのことに意味があるということに気づかせてくれるところではないかと思います。
悲しみにも意味がある。今日はイエスが語られた至福の教えから、「悲しむ者」について学びました。
今週も礼拝の恵みに感謝。

幸福なるかな、悲しむ者

礼拝メッセージ「幸福(さいわい)なるかな、悲しむ者」
聖書 マタイの福音書5章2−10節
マタイの福音書シリーズ(14)山上の説教(2)

星野富弘さんの詩画の代表的作の一つは「悲しみの意味」があります。

冬があり 夏があり
昼と 夜があり
晴れた日と 雨の日があって
ひとつの花が 咲くように
悲しみも 苦しみもあって
私が私になってゆく

とても味わい深い詩です。星野さんの作品のすばらしいところは、すべてのことに意味があるということに気づかせてくれるところではないかと思います。
悲しみにも意味がある。今日はイエスが語られた至福の教えから、「悲しむ者」について学びました。
今週も礼拝の恵みに感謝。

心の貧しい者は

山上の説教は「至福(八福)の教え」と呼ばれる、8つの幸いに関する言葉で始まります。原文では、各節が「幸いです」と訳されているギリシア語の「マカリオイ」で始まります。その意味では文語訳聖書の「幸福なるかな」で始まる文章は良い訳です。
最初の幸いはこうです。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」詳訳聖書では「霊において貧しい者〈自分をつまらない者と評価する謙そんな人は〉祝福されている。……なぜなら、天の国はその人たちのものだからである」と訳されています。旧約聖書では「貧しい人」が神に寄り頼む者の代名詞となっているので、こう説明できるでしょう。「幸福なるかな、心の貧しき者、自分をつまらない者と評価する謙そんな人、神にのみ寄り頼み、神なしには生きることのできない者。神をすべてとしている者。天の御国はその人のものだからです。」
至福の教えを改めて学びながら、イエス・キリストこそ、八福が教える幸いな人であると教えられました。イエス・キリストこそ、柔和でへりくだった方、悲しみの人であわれみ深く、神の義を追い求め、完全な清さをもつ平和の君、この方が十字架の苦しみを受け、私たちを天の御国に導いてくださるのです。
だれでも幸せを求めています。よく言われることですが、happiness(幸せ)という言葉は、hap(運、つき、偶然)から派生しているそうです。つまり、たまたま転がり込んだ幸せなので、状況が変わったり、それが失われたりすると幸せではなくなります。しかし、イエスが語られた「幸い」は神から来る祝福(blessing)です。人生の予期しない出来事にも影響されず、死さえも奪うことができない幸せです。その最初に置かれているのが「心の貧しい者」、自分をつまらない者と評価する謙そんな人、神をすべてとする人になることなのです。

宣教の備え

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
エペソ人への手紙6章15節

ミニ宣教セミナーの5回目。今回は宣教の備えの1回目です。
パウロは神の武具の一つとして、「平和の福音の備えをはきなさい」と教えていますが、宣教の備えをしなさいとの勧めです。霊的な備えは、私たちが何を信じ、何を伝えようとしているかを正しく理解するために、クリスチャン生活の基本を徹底すること、目に見えない部分から始まります。
凡事徹底という言葉がありますが、平凡なこと、当たり前のことを徹底するという意味です。あのイチロー選手も偉業を成し遂げた後にこう言いました。「
特別なことをするために、特別なことをするのではない。特別なことをするために、普段どおりの当たり前のことをする。」努力すること、基本に帰ることの天才であったイチローならではの言葉です。原点に帰るとはよく言われることですが、それは後戻りすることではなく、特別なことのために必要なことなのです。

幸福なるかな、心の貧しき者

9月のオープン礼拝
メッセージ「幸福(さいわい)なるかな、心の貧しき者」
聖書 マタイの福音書5章1−10節
マタイの福音書シリーズ(13)山上の説教(1)

毎年、3月20日の国際幸福デーに合わせて、国連の関係機関による世界幸福度ランキングが発表されます。アメリカの調査会社による世論調査をもとに、各国の約1000人に「最近の生活の満足度」を0から10までの11段階で自己評価してもらった統計で、1人当たりの国内総生産社会保障制度などの社会的支援、健康寿命、他者への寛容さ、国への信頼度などの評価項目も加味し、数値化されたランキングです。1位は7年連続でフィンランド、続いてデンマークアイスランドと北欧諸国が続きます。日本は143の国と地域の中で51位でした。
世界のランキングとは別に、日本国内の都道府県幸福度ランキングというのもあります。住民の幸福度や生活満足度、愛着度、定住意欲度などを数値化した調査で、1位は沖縄県、大分、宮崎と続き、大阪は47都道府県中46位。47位は神奈川でした。ちょっと残念な結果です。
上位に選ばれた国や地域には、選ばれるだけの理由があるわけですが、そこに住めば幸せになれるという保証はなく、結局は、その人がいま幸せを感じられるかが大切なことなのだと思います。
これは2022年のデータですが、幸福度に関するアンケートの結果です。男女500人に聞きました。「どのようなことに幸せを感じますか」との問いに、男女とも1位は「おいしいものを食べているとき」、2位は「趣味をしているとき」という答えでした。また「幸せに必要なものは何でしょう」の問いに対し、これも男女ともに同じ答えで、「お金(経済的余裕)」が第1位でした。いかがでしょうか。
喜劇王チャップリンは、「おそれを持たなければ、人生はすばらしいものだ。そして人生に必要なものは勇気、想像力、そして少しのおカネだ」と言いました。これは古き良き時代の感覚なのでしょうか。今は悠長なことは言っていられないのでしょうか。現代人の意識は、たくさんのお金が幸せに不可欠のようです。
そんな価値観、幸福観の中に生きる私たちですが、今週の礼拝から、しばらく「山上の垂訓」と呼ばれるイエス・キリストガリラヤの風薫る丘で語られた説教、天国の価値観、幸福観を学びたいと思っています。この説教の中には、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」とか、「求めよ、さらば与えられん」「狭い門から入れ」など、クリスチャンでなくても知っている、キリスト教の看板のような言葉がいくつも出てくるところですので、良い機会と思い、少し時間をかけて、ていねいに「山上の垂訓」を学んでみたいと思います。

 

漁師を選ばれた理由

エスガリラヤ湖のほとりを歩きながら、4人の漁師に目を留め、声をかけられました。「彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った」と聖書は伝えます。ここで言う「網」とは、彼らの日々の営みそのものであり、彼らの経験、常識、プライドとも言えます。彼らはその網を捨てて、すぐにイエスに従ったのです。しかし、「あなたを人間をとる漁師にしてあげよう」と言われたイエスは、網を捨て従った4人の漁師たちに、人を漁る福音という新しい網を託されたのです。
聖書学者のバークレーは、イエスが最初の弟子として漁師を選ばれた理由について、漁師がもっている6つの資質を挙げています。第1に、魚が捕れるまで忍耐強く待てること。第2に、何度でも網を下ろす不屈の精神があること。第3に、どんな暗闇や荒波も恐れない勇気があること。第4に、網を下ろす時を見分ける力があること。第5に、魚が好むえさを知っていること。第6に、魚を捕るために己を隠すことができることです。
『言泉集』の第2巻、「角笛」という文章の中で、大槻牧師も次のように記しています。「魚釣りの名人の言葉には、耳を傾ける価値がある。『魚を釣る秘訣は、まず自分の姿をかくすことであり、第二は、その魚が、何が好物であるかを知り、その好きなえさを与えることである』と。人を漁る使徒職の秘訣も同様であり、まず自己の姿を全くかくすことであり、第二に、絶大な価値であるキリストご自身、真実な神であり、永遠のいのちそのものであられる主を、人々の前に鮮やかに示すことである。」
私たちも網を捨ててイエスに従い、人を漁る漁師として働きましょう。

 

我は有りて在る者なり

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
出エジプト記3章13-15節。

今週は『神の十二の御名』の4回目。聖書に示された12の御名を一つひとつ、聖書を開きながら学び味わっています。
今日はモーセに現された「わたしはある」という御名について、「エヒエー」の意味と特徴、「アニーフー」との共通点について学び、御名の理解を深めました。

 

人間をとる漁師に

礼拝メッセージ「人間をとる漁師に」
聖書 マタイの福音書4章18−22節
マタイの福音書シリーズ(12)

エスの宣教が開始された場面を学んでいます。マタイは冒頭にイエスの宣教戦略を簡潔に描きました。場所と人と方法です。前回、場所と方法を見ました。今日は人です。いまマタイの福音書を学んでいますが、福音書を学ぶときに大切なことは、他の福音書と比較しながら学ぶことです。最初の弟子となる4人の漁師たちがイエスに出会うのは、この時が初めてではありませんでした。ヨハネ福音書を見ると、バプテスマのヨハネを介して、この4人が、すでにイエスとの関わりをもっていたことがわかります。イエスと彼らはどのような関係であったのでしょうか。
2021年の流行語大賞に「推し活」という言葉がノミネートされました。「推し活」とは、「推薦する」という意味の動詞「推す」に由来し、「推している」を略した表現で、若い世代を中心に、応援しているアイドルや、アニメ、ゲームのキャラクターなどを推す活動だそうです。その意味では、この4人はイエスの推し活をしていたにちがいありません。イエスの人格とその教えに心を熱くした彼らは、イエスが説教をされる集会の常連となり、追っかけをしていたのです。そんな彼らをイエスは最初の弟子に選び、召し出されたのです。推し活からフルタイムで働くイエスの弟子に、彼らの新しい歩みが始まります。
ルカの福音書5章には、マタイの記事には記されていない、奇跡の大漁というエピソードが紹介されています。ぜひ併せてお読みください。

8月も最後の日曜日、まだまだ暑い日が続きますが、今週も礼拝の恵みに感謝。