土の器

宮本牧師のブログ

宣教の原点

荒野の誘惑のシーンから一転、イエスの物語は舞台をガリラヤに移します。いよいよイエスの宣教が開始される場面です。「イエスは……湖のほとりの町カペナウムに来て住まわれました。」
このあと、イエスが「自分の町」と呼ばれる町、ガリラヤ湖の北部にあるカペナウムは、風光明媚な通商の中心地であり、税関やローマ軍の駐屯地もありました。カペナウムとは、「ナホムの村(慰めの村)」という意味ですが、イエスは「この時から」、そして「この場所から」宣教を開始されました。その様子をマタイは5つの動詞を用いて、簡潔にまとめています。ここにイエスの宣教戦略を見ることができます。
エスガリラヤ全域を①「巡って」福音を伝えました。その評判はシリア全土に②「広まった」、人々は病人をイエスのみもとに③「連れて来た」。イエスは彼らを④「癒やされた」。そして、大勢の群衆が、あちらからもこちらからも来て、イエスに⑤「従った」のです。
「イエスガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた」と記されていますが、イエスの活動には、教育、宣教、癒やし、この三拍子がそろっていました。時に、一つのことが強調されることがあっても、この三拍子がそろっていなければ、教会の成長を見ることはできません。教育(霊的な成長)、宣教(救霊の働き)、そして心身の癒やし、これが教会の形成と成長に欠かすことのできない条件なのです。
私たちも、イエスの宣教の原点に帰り、ここから始めましょう。私たちも、イエスと共に、私たちのガリラヤを巡り歩きましょう。
「巡り歩こう主イエスと共に、いのちの御名はここにある。恵みの業をもたらす種を蒔け、愛の実りを刈り入れよ。」