土の器

宮本牧師のブログ

心のガリラヤ

約3年半にわたって、マタイによる福音書を礼拝で学んできましたが、明日でいよいよ最終回です。 マタイ福音書を学びながら、どんな人生の困難もまたいで行ける信仰を養っていただきました。 明日はガリラヤでの復活の主との出会いと Great Commission と呼ばれる世界宣教命令を学びますが、このガリラヤにおける出来事とヨハネ福音書に見られるガリラヤでの出来事の関係について少しだけ触れておきたいと思います。 四福音書は4人の著者がそれぞれの目的を持って記したもので、出来事の順番や場所、またその状況とそれに関わった人が異なることもあります。それをできるだけ整理しようとするのが「四福音書の調和」という作業です。それによると、明日学ぶマタイの記事は、ヨハネ福音書21章に続く出来事とされています。私の手元にあるバルバロ編の合併福音書もその順番です。つまり、あの奇跡の大漁とペトロへの再召命に続いて、あるいはその後しばらくして、世界宣教の命令が語られるということです。 混乱の続くエルサレムから離れ、故郷のガリラヤに戻った弟子たち(すでに自ら命を絶ってしまったイスカリオテのユダを除く、11人の弟子たちはすべてガリラヤの出身でした)。彼らの疲れと心の傷を癒すのに、ガリラヤは最適の場所でした。もちろん、エルサレムでの出来事がすでにガリラヤにも伝わっていたことを思うと、彼らに向けられた冷たい視線や陰口もあったかも知れません。 ペトロが「漁に行く」と言うと、数名の弟子たちが一緒に出かけました。しかし、夜通し網を打っても雑魚一匹獲れません。惨めな思いが募りました。もう何をやっても駄目だ・・・。その時、岸から呼びかける声がありました。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」以前にもこんなことがあったなあと、彼らがもう一度網を打ってみると、引き上げることが出来ないほどの大漁でした。ヨハネが「あれは主だ!」と叫ぶと、ペトロは湖に飛び込み、一目散にイエスのもとに行きました。イースターの朝の約束は本当だったのです。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」 明日は4月最後の礼拝です。心のガリラヤで御言葉を待ち望みましょう。