土の器

宮本牧師のブログ

大きな光を見た

マタイによる福音書は、イエスが荒野で誘惑を受けた後、舞台をガリラヤ湖畔に移します。このガリラヤ湖畔が、イエスの活動の拠点となり、ここで多くのドラマが生まれました。マタイは、「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった」と、イザヤの預言を引用します。 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」 ガリラヤとは「輪」という意味ですが、そこから外側、周辺、また地方とか境界いう意味が生まれました。実際に、その地方には、難しい歴史がありました。異国との境界線であることから、絶えず異文化の流入という危険にさらされていたのです。それは新しい光を受け入れる準備ができていたということでもありましたが、エルサレムを中心とする南部の純血を尊ぶ厳格なユダヤ人からは、「異邦人のガリラヤ」と呼ばれ、「(ガリラヤの)ナザレから何か良いものが出るだろうか」また「ガリラヤからは預言者はでない」とだめ出しをされていたのです。そんなガリラヤが、イエスの福音宣教の原点となり、そんなガリラヤに住む人々が、その目撃者となったのです。 ですから、たとえ私たちの現実が神の恵みからはずれた外にあると思われても、まだ望みがあります。イエスの宣教はそこから始められたのですから。「暗闇に住む民は大きな光を見た。」「彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。異邦人は彼の名に望みをかける。」「行って、・・・ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」