土の器

宮本牧師のブログ

わたしのくびき

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
「くびき」とは、農作業や荷を引かせるために、二頭の牛を一対に繋ぐ首にかける木製の道具のことです。軛は、それぞれの動物にあったものを使わなければ、苦痛を与え、労働力を低下させることになります。ですから、それぞれにあったオーダーメイドの軛が必要だったのです。
伝説によると、イエスは父ヨセフの仕事を継いで、ナザレ村の大工として働いていましたが、有名な軛作りの職人であったと伝えられています。評判の軛を手に入れるために遠方からも注文が殺到するほどでした。イエスの作った軛は肌がすりむけるような窮屈なものではなく、それぞれに合うように念入りに作られていて、とても軽く負いやすいもので、それを付けて主人に従うことは、重荷とはならず喜びでさえありました。
エスのもとに来れば、休みが与えられます。ほんとうです。嘘ではありません。しかし、それからの人生、何も担ぐものがなくなるのではありません。イエスに従う人には、負うべき新しい十字架が与えられます。しかし、イエスに出会う前と、イエスに出会ってからでは、その意味がちがうのです。その重さがちがうのです。私たちの前を、十字架を背負って進まれたイエスのあとに続く時、そのくびき、十字架は負いやすく、十字架を負うことが喜びに変えられていくからです。