神が結び合わせてくださったもの
結婚とは第2に、共に軛を負うことです。神が「結び合わせてくださったもの」という言葉には「軛でつなぐ」という意味があります。軛とは、二頭の家畜の首をつなぐ道具ですが、結婚とは神が二人を軛でつなぐことなのです。結果、夫婦は一つの荷物を二人で背負うのです。現実には、お互いに、相手のことを重荷のように感じることがあるのかもしれませんが、結婚の本来の目的は、二人がこの地上で心を一つにして、神の栄光のために生きることなのです。
マシュー・ヘンリーの言葉は続きます。「アダムは来たるべきキリストの象徴であった。というのは、第二のアダムなるキリストの脇腹からその花嫁なる教会は生み出されたからである。キリストが眠りに、しかも、十字架の死という眠りに落ちた時に。そして、キリストの裂かれた御傷からは血と水とが流れ出たのである。血はその教会を得るために、水はその教会をご自分にふさわしく清めるために。」
もうおわりでしょうか。どうして、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならないか。それは、結婚がキリストと教会の関係を表しているからなのです。「人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」、パウロもこの言葉を引用し、「この神秘は偉大です。私は、キリストと教会について述べているのです」と結婚がキリストと教会との関係を映し出すものであると語っています。キリストの心に最も近いところで生み出された花嫁である教会は、キリストを愛し、キリストの心を心とし、キリストと共に軛を共にすることを、最上の喜びとするのです。