土の器

宮本牧師のブログ

光の子ども

イエス・キリストは言われました。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」ヨハネ福音書にはこの箇所のほかに「わたしは〜である」、ギリシア語の「エゴ・エイミ」という表現が6つ用いられています。イエスは自らのことを「いのちのパン」「羊の門」「良い牧者」「よみがえり、いのち」「道、真理、いのち」、「ぶどうの木」と名乗られました。このように自らを「わたしは〜である」と語られたイエスが、この中で一つだけ、「あなたも〜である」と語られたものがあります。それが「世の光」です。神の願いは、私たちがこの世から孤立することでも、この世に埋没してしまうことでもなく、ある時は地の塩として己を隠して、この世界に変化を起こし、ある時は世の光として大胆に輝くことによって、世界を照らすことなのです。
「闇」という漢字はよく見ると面白いです。門構えに音と書きます。音が門のなかに閉じ込められているのが闇です。見えないのだから、音ではなく目と書いた方が適切だと思うのですが、音なのです。この音とは何でしょうか。それは神の声である「福音」という音です。ほんとうの暗闇とは、福音が閉ざされた世界です。この闇を照らすために、光よりの光であるキリストが来られました。聖書は言います。「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。」
マザーテレサの祈りが私たちの祈りとなりますように。
「神の愛と優しさの生きた表現でありなさい。あなたのまなざしに、あなたの顔に、あなたの微笑みに、神の愛と優しさがあふれますように。貧しい人々の中で、弱い人々の中で、神の愛の光となるのです。愛する主よ、私のうちにいてください。私を通して輝いてください。私と出会うすべての人が、私においてあなたと出会うことができますように。」