土の器

宮本牧師のブログ

世の光

イエス・キリストこそ世の光です。この方に従って生きるとき、私たちはいのちの光を持つのです。私たちも光となるのです。ヨハネの福音書には「わたしは〜である」、ギリシア語の「エゴ・エイミ」という表現が7つ記されています。6章「いのちのパン」、8章「世の光」10章「羊の門」「良い羊飼い」、11章「よみがえりであり、いのち」、14章「道であり、真理であり、いのち」、15章「ぶどうの木」と自らのことを語っておられます。このように自らを「わたしは〜である」と語られるイエスが、この中で一つだけ、「あなたも〜である」と同じ言葉で語られたものがあります。それが「世の光」です。有名は福音伝道者D.L.ムーディーの説教が残されています。

嵐の夜、船員たちが頼りにしている星も見えない荒海で、一艘の船がオハイオ州のクリーヴランド港を目指して、荒波と闘いながら、航行していた。『あそこにかすかに見える灯台の光は、クリーヴランドの灯台か?』船長は舵手に訊ねた。『あの光はクリーヴランドの高い灯台の光です』と舵手は答えた。『では、いつも目標にしている低い方の灯台の光はどこだ?』『目視できません!』これまで数多くの嵐を乗り越えて来た経験豊かな舵手は、低い方の灯台の光を見つけ出すことのできないまま港を目指した。しかし、船は水路を誤り、岩場に乗り上げ座礁、多くの人々が暗黒の荒海の中に投げ出された。その夜、低い方の灯台守りは「大きな灯台があるのだから、小さな灯台なんか無くても大丈夫だ」と思い、独り酒に浸っていたということだ。

ムーディーはこの話を用いて、「天の父なる神は、大きな灯台となり、永遠の命という光をこの地上に送り続けていて下さるのだから、我々も小さな灯台となり、火を燃やし続けなければならない」と語りました。イエスは言われます。「あなたがたは世の光である。」灯りを燃やし続けよ。