土の器

宮本牧師のブログ

イエスは宮にはいられた

棕櫚の日の礼拝
メッセージ「イエスは宮にはいられた」
聖書 マタイの福音書21章12〜17節

今日は堺教会での最初の礼拝でした。今週も礼拝の恵みに感謝します。

中国は梁の時代の『元帝纂要』に「一年の計は春に在り」と書かれているとか。四季の初めの春は、いろいろなものが「始まる」季節だが、「始める」季節ととらえることもできる。「一年の計」の中で、何か未経験なことへの挑戦を考えてみるのに、ふさわしい時期ではないだろうか。何であれ新たなことは、興味や視野を広げてくれるはずだが、特にある程度以上の年齢になると、不慣れなことに取り組むのはおっくうに感じる。その気はあっても先を考える。ぶざまな初心者ぶりを笑われたくはない。そして気後れする。そこで思い出すのは、レンブラントの言葉だ。かのオランダの大画家は「絵はどう描けばよいか」と問われてこう言ったそうだ。「まず、絵筆をとりなさい」と。何か新しいことを始めるに当たって一番難しいのは「始めること」それ自体である。とにかく始めてしまえば、もう半分できたようなものだ。さあ、始めてみよう。