土の器

宮本牧師のブログ

十字架とキリスト像

教会暦では次の日曜日が棕櫚の聖日で、その日からキリストの最後の一週間(受難週)が始まります。こんな話しを読みました。 2003年の8月、ニューヨークにあるホーリークロス教会に泥棒が入りました。泥棒は献金箱と十字架のキリスト像を盗んで行ったそうです。キリスト像は等身大のもので重さが100キロ以上あったのですが、泥棒はキリスト像を十字架から取り外し、十字架を残して、ご像だけを持って行きました。教会のスミス神父は「どうして泥棒が十字架を残し、キリスト像だけを持って行ったのか、私にはわからない。十字架像というものは、キリストと十字架が一つになって、はじめて意味のあるものだから」と語ったそうです。 もしかするとこれは泥棒の話ではないのかもしれません。キリストと十字架が一つであるように、私たちクリスチャンも十字架と一つです。私たちは、キリストを十字架から外して、キリストだけを手に入れようとしてはいないでしょうか。キリストの愛、恵み、祝福、癒しはいただくが、十字架は、試練は、苦難は、犠牲は要らない、そんな態度をとってはいないでしょうか。キリストは言われました。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と。 3月25日(日)棕櫚の聖日の礼拝・聖餐式。 4月1日(日)4月のオープン礼拝はイースター礼拝。進級式。礼拝に続き春の召天者記念礼拝。 教会学校のお楽しみ会も計画されています。