土の器

宮本牧師のブログ

本来あるべき姿

エスエルサレムに入城された後、神殿の境内で見た光景は、本来あるべき神殿の輝きがまったく失われたものでした。なんと悲しいことでしょう。イエスは失われた神殿の輝きを取り戻すために、全力で御自分の住まいである神殿を清められたのです。
本来あるべき神殿の姿(教会の姿)について、御言葉から3つのことを発見できます。
第一に、神殿は祈りの家です。イザヤ書56章にこう記されています。「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。」神の住まいは祈りの家です。いつも祈りに満ちた場所です。
第二に、神殿は癒しの場所です。イエスが両替人や商人たちを追放した後、目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに集まってきました。イエスは彼らを癒されたのです。神の住まいでは常に奇跡が起こります。
第三に、神殿は賛美に満ちた場所です。イエスのなさった不思議な業を見、境内では子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と声高らかに歌っていました。宗教家たちはそれを非難しましたが、イエスはそれを喜ばれました。それこそ神の住まいにふさわしい光景であったからです。
この宮清めの出来事は、私たちに聖書の重大な真理を思い起こさせます。「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」
「イエスは宮に入られた。」今や、神殿の中にイエスだけが輝いて見えます。