土の器

宮本牧師のブログ

美しい門で

私がまだ岐阜にいた頃、ボストン大学のL教授が杉原千畝さんの取材に来られました。名古屋で歓迎集会が持たれたのですが、L教授は創世記28章、ヤコブの物語から御言葉を引用され、「まことに主がこの場所におられたのに、わたしはそれを知らなかった」と感動のあいさつをされました。御言葉はこう続きます。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、これは天の門だ」と。きっと教授は、名古屋教会の講壇に立ち、ヤコブが見た天と地をつなぐ梯子を感じたのでしょう。 イエス・キリストこそ天と地をつなぐ梯子、天の門です。聖書の中に登場する有名な「門」と聞いて、使徒言行録の3章に出て来る「美しい門」と呼ばれたエルサレム神殿の門を思い出される方もあるかも知れません。ペンテコステの直後、聖霊に満たされたペトロとヨハネが生まれながら足の不自由な男を癒した奇跡の舞台です。 聖書にはこう書かれています。「ペトロとヨハネが、午後3時の祈りの時に神殿に上って行った。すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。」リビングバイブルでは、「もうすぐ宮だという所で、生まれつき足の不自由な男が運ばれて来るのに出会いました」と訳されていますが、門のそば、もうすぐ宮だという所に、彼はいたのです。 ヨハネ福音書の10章で、イエスは「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける」と語られましたが、門を出入りするとは、イスラエルの人々にとって、日々の暮らしを表し、生きるということを意味していました。朝、門から自分の家を出て、夕べに門を通って帰ることが、人生だと考えられていたのです。詩編121編に、「主はあなたの出ると入るとを守られる」と歌われているのも同じことです。 WHOは健康について、身体的にも、精神的にも、社会的にも完全で良好な状態にあることと提唱しますが、聖書的に、この完全で良好な状態とは、キリストという美しい門を出入りする人、神の現存の中に生きる人なのです。ですから、大切なことは毎日、イエス・キリストという美しい門を通って、神の神殿、神の現存の中に入ることです。あなたは今日、どこにいるのでしょうか。門のそばでしょうか。もうすぐ宮だという所でしょうか。今日、神殿の中に入って行きましょう。 今日は勤労感謝の日ですが、教会では健康感謝の日とも呼び、一年の恵みに感謝します。 心も体もキリストにあって健やかでありますように。