土の器

宮本牧師のブログ

シロアムへの道

イエスが語られた「わたしを遣わされた方のわざを行う」とは、何かの行為ではなく、イエスに対する信仰です。そこでイエスは、地面に唾をして、その唾で泥を作り、盲人の目に塗られました。

このイエスの行為が何を意味し、イエスが誰であるかがわかるでしょうか。盲人はこの意味が理解できませんでした。彼は肉体の目が見えないと言うだけではなく、霊的にも盲人であったのです。そこでイエスは次のヒントを出されます。「行って、シロアムの池で洗いなさい。」ここでは「シロアム」という言葉が重要な意味をもちますが、盲人はやはりその意味を理解できませんでした。しかし、彼はイエスの言葉に従います。

私たちの現実は、なかなかイエスの言葉に従うことができないことです。盲人は、イエスの言葉に従いました。エルサレムの神殿の辺りからシロアムまで、地理的には、なだらかな下り坂になっています。この道を歩きながら、彼は多くの人々からからかわれたにちがいありません。顔に泥を塗られているのですから。彼はこの辺で止めておこうか、道端の水がめで顔を洗おうか、そんな気持ちと闘いながら歩き続けました。そうするためには神の前での謙遜と忍耐が必要です。彼は地理的に低いところへ下って行っただけではなく、霊的にもへりくだる経験をしたのです。主の言葉はあまりにもシンプルで馬鹿げているでしょうか。しかし、それがいつも神の方法なのです。

私たちもシロアム、遣わされた方のもとに行きましょう。