土の器

宮本牧師のブログ

目の見えない者

イエス・キリストは、来たるべきお方です。京都の秋期聖会でイザヤ書35章を学びました。「そのとき、見ない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がり、口の利けなかった人が喜び歌う。」イザヤのこの預言は、イエスによって実現されます。マタイ福音書の言葉がそれを証明しています。洗礼者ヨハネが、自分の弟子たちを送ってイエスに尋ねさせました。「来たるべき方は、あなたなのでしょうか。」イエスの答えです。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死人は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである。」ヨハネは、「イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語った」と言います。 ここで大切なことは、私たちが「目の見えない者」であることに気づくことです。言泉集にこう書かれていました。「(義の)太陽を見ない三種類の人間がある。霊的盲人、霊的にねむっている人、頑固に目を閉じて、ことさらに見ようとしない人」と。ヨハネの黙示録にも、終末時代の教会の真相が次のように描かれています。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。・・・あなたは『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない」と。そこで、あなたに勧める。・・・見えるようになるために、目に塗る目薬を買いなさい(聖霊を求めなさい)。」 さあ、生まれつき目の見えなかった男が、イエスの言葉を信じてシロアムに向かって歩み出したように、私たちも神の言葉を信じて歩み出しましょう。「シロアム、遣わされた方のもとへ、来たるべき方のもとへ、あなたも行って洗いなさい。」そのとき、見えない人の目は開くのです。