土の器

宮本牧師のブログ

業そのものによって

「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている」と。 モーセの律法よれば、ある事柄が真実であることを証明するためには、二人またはは三人の証言が必要であると教えられていました。そのことを背景に、イエスは御自身がメシアであり、神の御子であることを証明するものがあると、ここでは四つのことを語られます。第一に、洗礼者ヨハネの証言。第二に、イエスが行われた業。第三に、父なる神の証言。第四に、聖書そのもの(勿論ここで言う聖書とは旧約聖書のことですが)、特にモーセによる証言。 第一と第二の証に注目しましょう。「しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。」洗礼者ヨハネの証しにまさる証しとありますが、命をかけて真理について証しした彼が殉教の死を遂げる直前、自分の弟子たちをイエスのもとに遣わしてこう尋ねさせています。「来たるべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」それに対するイエスの答えはこうでした。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死人は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである」と。 イエスは私たちに語っておられます。「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。」イザヤの預言を業によって成就しているこの私を、あなたは誰と言うのですか」と。 今週も大切なことを大切に。