土の器

宮本牧師のブログ

2つの真実

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 ある英語の聖書では、「罪のない者が、最初の石(The first stone)を投げなさい」と訳していますが、こんな話を聞きました。

「人間関係に行き詰まり苦しんでいた私は、牧師に相談に行った。すると、牧師の書斎の机の上に、こぶしほどの石が一個置いてあるのに気がついた。石には「The first stone」と書かれていた。私は『この石は何ですか?』と尋ねてみた。牧師は、『それは、ヨハネ8章7節の石です。私が人を裁き、だれかに石を投げることがないように、いつもここに置いてあるのです』と話してくれた。牧師に相談に行った私だったが、もうそれ以上、何も聞く必要はなかった。」 もしあなたがこぶしの中に石を握りしめているのなら、そして、その石を誰かに投げつけようとすでに手を振り上げているなら、もう一度、主の声を聞いてください。「あなたがたの中で罪のない者が、まず(最初の)石を投げなさい。」

いま、御言葉の光の前に、素直な心となり、罪を悔い、十字架にすがるべきではないでしょうか。 この出来事を目撃したヨハネは、後に手紙にこう書いています。「もし、自分には罪がないと言いはるなら、それは、自分をだましているのであって、真理を受け入れようとしない証拠です。しかし、もし自らの罪を神に告白するなら、神はまちがいなくそれを赦し、すべての悪からきよめてくださいます。」 ですから、主の言葉を大胆に宣言しましょう。「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められています」と。

御言葉の光が投げかけられるとき、明らかにされるのは、罪だけではありません。そこに本来あるべき私たちの姿が照らし出されるのです。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。」 彼女をイエスのもとに連れて来た悪意の人々は、彼女のことを「この女」「こういう女」と呼びましたが、イエスは彼女を「婦人よ」と呼びました。ギリシャ語では「グナイ」と言い、とてもていねいで尊敬を込めた呼び方です。今は罪と恥とにまみれボロボロになっている彼女の内なる人の尊厳と価値、その人格を高める言葉です。ヨハネは、この言葉を2章と19章でも使っていますが、いずれもイエスが母マリアを呼ぶ場面です。イエスは尊敬と愛を込めて母マリアに使ったこの言葉を、この女性に使っているのです。これが世の光であるイエスの眼差しです。イザヤ書43章4節、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」嘘ではありません。それがほんとうの、本来あるべきあなたなのです。私たちは、神に創造され、初めから神のものでしたが、罪のうちに失われてしまいました。そんな私を神は探し出し、キリストのいのちという代価を支払って、もう一度、買い戻してくださったのです。これを贖いと言います。これがイエス・キリストの十字架の真実です。