愛による変容の奇跡
神の愛による変容の奇跡は、どれだけ多くの砂漠のような心を、美しい愛の花が咲き薫る主の園のように変えてきたことでしょう。イエスとサマリアの婦人との出会いの中にも、神の愛による変容の奇跡を見ることができます。
だれも水を汲みに来ない昼下がりに、水がめを担いで井戸にやって来たワケありの女性。5人の夫がいたが、いま一緒に住んでいるのは夫ではないというのですから、よほど飽きっぽかったのか、わがままだったのか、美人だったのか、自堕落な生活をしていたとも言われる女性ですが、確かなことは、彼女が満たされない心を(荒れ野のような、荒れ地のような、砂漠のような心を)持っていたことです。私はその人に会ったことがあります。どこで。鏡の中にいました。それは私のことです。そう、イエスとサマリアの婦人の物語は、私の物語だったのです。
炎天下、旅に疲れたイエスが「水を飲ませてください」と婦人に語りかけたことから始まった二人の会話は、次第に目に見える世界から見えない世界へと話題を移し、気がつけば「水を飲ませてください」と言ったのが誰であるかという、礼拝の奥義と物語の結論へと導かれて行きます。「婦人よ、私を信じなさい。…まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。…あなたと話しをしているこのわたしである。」
その時、愛による変容の奇跡が起こり、彼女の心にあった荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れ始めたのです。この後、彼女は水がめをそこに置いたまま町に帰って行きました。毎日、水を汲みに来ても、すぐに空っぽになってしまう水がめは、彼女の満たされない心の象徴です。彼女はそれを、生ける水の源であるキリストのもとに置いたまま、自分の身に起こったことを伝えるために町に帰って行きました。
物語はサマリアの町の人々がこぞってイエスのもとにやって来るリバイバルへと続きます。これは福音が「ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで」広げられていくという観点から言えば、世界宣教の初めの一歩でした。ことの発端は、ヤコブの井戸のほとりにおけるイエスと一人の婦人との出会いです。今年、このようなことが、私たちの教会に、私たちの家庭に、私たちの住んでいる町に起こりますように。
次の日曜日は2月のオープン礼拝です。ぜひお出かけください。