土の器

宮本牧師のブログ

知ること、求めること

「井戸は深いのです(the well is deep)」との言葉が、サマリアの婦人の渇きの深さを表しています。彼女の悩み、問題、悲しみ、後悔と涙、そして罪も、浅いものではなく、実に深いものでした。同じように、私たちの心の井戸がどれほど深く、暗くあったとしても、井戸のそばであなたを待っておられる方は、それを満たすことがおできになります。

イエスと婦人との対話は、このあと礼拝というテーマに移っていくのですが、彼女は気がつくと、ただひとり神の前に立っていることに気づきます。イエスは言われました。「婦人よ、わたしを信じなさい。・・・あなたと話をしているこのわたしである。」「わたしである」とは、聖書の中で神がご自分を現されるときに名乗られる神の名ですが、これこそ「水を飲ませてください」と言ったものが「だれであるか」の答えになります。このお方が、今日あなたの満たされない深い井戸のそばにおいでになりました。鏡の中にいる、あなたがよく知っているサマリアの女と出会うために。

F.B.マイヤーの言葉です。「イエスがお与えになる『生きた水』は人間の霊的な渇きを根源的にいやすことができ、ヨハネの黙示録では『いのちの水』とも呼ばれている。キリストは生きた水を持っておられ、もし求めさえすれば、直ぐに与えてくださるであろう。…神の最上の賜物を受けるには、二つの条件がある。それは、知らなければならないことと、求めなければならないことである。」

あなたはもう知っていますか。あなたはもう求めていますか。 「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」

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