家に入ること
今朝、礼拝堂に入ると春の聖会の余韻がのこっているのを感じました。
昨日のメッセージで、こんな話しを聞きました。神癒で用いられていた先生の言葉だそうです。
あなたの肉親が死にかけているとき、医者を呼んでおいて、来てくれたときには家に入ることを拒みはしないであろう。ふろ場の蛇口が壊れたので水道屋を呼んで直してもらおうとするとき、仕事をしてもらうためにその人が家に入ることを許すだろう。そのようにキリストに癒しを求めるとき、癒すお方をあなたの生活の中にお入れしなければならないのである。
救いとは、キリスト教という宗教を迎え入れることではなく、真実な神であり、永遠の命であるキリストご自身を、自分の家に迎え入れることなのです。
今週もこのお方を私たちの家に、奥の部屋に、私たちの生活のあらゆる場面に、お迎えしましょう。
今週も大切なことを大切に。