世々とこしえ、あなたは神
天地創造の前からイエスに与えられていた栄光。それこそは、他ではないイエス自身が私たちに見せたいと望まれたものであり、またこの福音書を記す、イエスの愛しておられた弟子が見、伝えたかったものなのです。
ヨハネは、福音書の冒頭に、「私が書こうとしているのは、私が伝えたいのは、このお方だ」と言わんばかりに、何の迷いもためらいもなく、語り始めるのです。「初めに〔天地の初めに〕ことば〔キリスト〕がおられた。・・・ことばは神ご自身であられた」と。
ここでヨハネはキリストのことを「言」と呼んでいます。ギリシア語では「ロゴス」という言葉ですが、永遠の初めから、すでに存在しておられた神の子イエス・キリストを、彼はそう呼んだのです。ヨハネの手紙の書き出しも同様です。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの・・・命の言」。
聖書は聖書で理解します。旧約聖書の箴言8章を開いてみましょう。ソロモン王が記した箴言には「知恵」という言葉がくり返し出てきますが、その多くはヨハネが強調する「神の言」と同じ意味です。8章は、箴言全体のハイライトで、知恵が擬人化され、「わたし」という一人称で語ります。22節以下に、天地創造の前からイエスに与えられていた栄光が詩的に美しく描かれています。
8:22 主は、その道の初めにわたしを造られた。
いにしえの御業になお、先立って。
8:23 永遠の昔、わたしは祝別されていた。
太初、大地に先立って。
8:24 わたしは生み出されていた
深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。
8:25 山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが
わたしは生み出されていた。
8:26 大地も野も、地上の最初の塵も
まだ造られていなかった。
8:27 わたしはそこにいた
主が天をその位置に備え
深淵の面に輪を描いて境界とされたとき
8:28 主が上から雲に力をもたせ
深淵の源に勢いを与えられたとき
8:29 この原始の海に境界を定め
水が岸を越えないようにし
大地の基を定められたとき。
8:30 御もとにあって、わたしは巧みな者(口語訳では「名匠」)となり
日々、主を楽しませる者となって
絶えず主の御前で楽を奏し
8:31 主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し
人の子らと共に楽しむ。
知恵とは神の言であるイエス・キリストです。知恵は天地が創造される前から存在していました。さらに、知恵は、父なる神と一体であり、父なる神の傍らで名匠となり、天地創造の業に参加しておられたのです。これが天地創造の前からイエスに与えられていた栄光であり、今日もイエスが私たちに見せたいと願っておられる真の姿なのです。
また、「神の人モーセの詩」と表題の付いている詩編90編にはこう記されています。
90:1 【祈り。神の人モーセの詩。】
主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
90:2 山々が生まれる前から
大地が、人の世が、生み出される前から
世々とこしえに、あなたは神。
いま、イエス・キリストを天地万物の創造者、全能の神として、ソロモンと共に、モーセと共に礼拝しましょう。
「山々が生まれる前から、世々とこしえに、あなたは神。」
明日から12月。次の日曜日から教会では待降節に入ります。
クリスマスは教会で。