土の器

宮本牧師のブログ

初めと真ん中と終わり

どのような本でも、その本の始めと真ん中と終わりを読めば、その内容や傾向をおおよそつかむことができるものですが、ヨハネによる福音書の始めと真ん中と終わりには何が書かれていたでしょうか。まず第1章を見ると、ヨハネ福音書の書き出しは、他の福音書の始まりとは異なります。他の福音書がキリストの誕生、出生の物語や、キリストの公生涯から書き始めているのに対して、ヨハネは時空を超越し、永遠の初めに遡って、キリストの神的な起源から書き起こしています。「初めに〔天地の初めに、すでに〕ことば〔キリスト〕おられた。ことばは神とともにおられた。ことばは神ご自身であられた。……だれもまだ神を見たことはない。ただひとりの比類のないみ子、ひとり子の神、み父のふところにおられるかた、そのかたが神をあらわされた<啓示された、目に見えるように現された>。」ヨハネ福音書の冒頭に「ことばは神であった」と、自分自身が体験した神を証ししています。 ヨハネ福音書の真ん中、10章には、どんなことが書かれているでしょうか。シロアムの奇跡の後、ユダヤ人との論争、対立が激しくなっていました。「そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。」イエスが神殿の回廊を歩んでいると、ユダヤ人がイエスを取り巻き、「いつまで、私たちに気をもませるのか。もしあなたがメシアなら、はっきりそう言いなさい」と詰め寄りました。するとイエスは答えて言われました。「わたしは言ったが、あなたがたは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証をしている。」そして言われました。「わたしと父とは一つである」と。これはイエス・キリスト御自身による証しです。 それではヨハネによる福音書の最後には何が書かれているのでしょう。ヨハネ福音書を統べくくるにあたって、イエスの復活を信じられなかったトマスという一人の弟子を通して、彼の口を借りて、これを読む読者にキリストが神であることを告白させようとします。1章はヨハネの証言でした。10章はイエスご自身の言葉でした。20章はトマスとわたしが信仰告白することによって、この本はわたしの福音書となるのです。 今週も大切なことを大切に。