土の器

宮本牧師のブログ

わたしの主、わたしの神よ

ヨハネは、主が復活された日の夕べ、復活の主が弟子たちに現れた時のことを記していますが、その日、その場に居合わせなかった弟子がいました。ディディモと呼ばれていたトマスです。彼が仲間の弟子たちのもとに帰って来た時、その場の空気は一変していました。弟子たちの顔に刻まれていた憂い、悲しみ、失望の色は全く消え去り、希望を失っていた目はダイヤモンドのようにキラキラと輝いています。何かが起こったのは明らかでした。トマスにもその理由が告げられます。「わたしたちは主を見た」と。 仲間の変貌ぶりは事実です。彼らが嘘をついているとは思えません。しかし、復活を簡単に信じられないトマスは心を頑なにし、「私はこの手でキリストのみ傷に触れるまでは信じない」と言い放ってしまいます。信じたい、しかし信じられない。彼の苦悩と葛藤が続きました。良き牧者なる主は、8日の後(次の日曜日に)、再び弟子たちのところに御自身を現されました。イエスのまなざしはトマスに注がれていました。 イエスの復活が信じられず、石のように硬く冷たくなっていたトマスの心でしたが、イエスを拝した瞬間、心の奥底から、彼の口をついて出た言葉は、「わたしの主、わたしの神よ」でした。八百万の神を拝んでいる私たちが「私の神よ」と言っているのではありません。唯一の神を信じるように教え続けられてきた生粋のユダヤ人であるトマスが、イエスに向かって「わたしの主、わたしの神よ」と言っているのです。ヨハネは、トマスが復活の主に礼拝をささげる光景を、素朴に、感動的に描くことによって、それを読む私たちが、トマスと共にイエスを礼拝するよう導くのです。そして、私たちが、トマスと共に、「わたしの主、わたしの神よ」とイエスを礼拝する時に、ヨハネによる福音書は私の福音書となるのです。 明日は2月29日、明後日から3月です。