土の器

宮本牧師のブログ

明日、あなたの所に行くよ

ロシアのとある町に、マルチンという靴屋が住んでいました。彼の店は窓が一つしかない半地下にありました。窓からは通行人の足だけが見えて、マルチンはその靴を見ただけで誰が通ったかすぐわかりました。家族に先立たれ、ひとり暮らしのマルチンは、運命を呪い、神を責めながら生きていました。 あるとき、古い友人が彼を訪ねてきます。「もはや何のために生きなくてはならないのか」と嘆くマルチンに、友人は「神のために生きるのだ」と話し、聖書を読むことを勧めました。それ以来、マルチンの生活は一変します。聖書を読むと、マルチンの心は休まりました。ある夜、マルチンは聖書を読みながら寝入ってしまいました。すると、突然、「マルチン」と誰かが彼を呼ぶ声で聞こえてきました。マルチンはあわてて辺りを見回しましたが誰もいません。するとまた声がしました。「マルチン、明日、あなたの所に行くよ。」 朝早く起きると、マルチンは窓の外が気になります。「ほんとに、誰か私のところに来るのだろうか。」窓の外を見ていると、近所の老人が、雪かきをしていました。「ちょうどお茶があったまっている。そうだ、爺さんにごちそうしよう。」マルチンは老人に声をかけました。「少し温まっていきませんか。」老人は心も体もあったまって帰って行きました。マルチンは通りを気にしながら、仕事を再開しました。すると、赤ん坊の泣く声が聞こえます。よく見るとマントも着ず、寒さに凍えながら、赤ん坊を抱いている若いお母さんが立っているではありませんか。マルチンは戸を開けると、「うちにはいりなさい」と声をかけました。マルチンはパンとスープを彼女に食べさせ、自分の上着を渡しました。また仕事にかかると窓の外で声がします。 男の子がリンゴ売りのおばあさんから、リンゴを盗もうとして、ひどく叱られていました。マルチンは外に出て、「おばあさん、許してやりなよ」と話し、男の子にも「おばあさんに謝るんだよ。もうこんなことをしてはいけないよ」と話しました。 こうして、あっと言う間に一日が終わり、辺りはすっかり暗くなりました。マルチンが、いつものように仕事道具を片づけ、棚から聖書を取り出して、昨日の続きを読み始めようとした時です。何かの気配を感じたマルチンが後ろをふり返ると、スクリーンに今日一日の出来事が映し出されるように、雪かきの老人が現れ、赤ちゃんを抱いた若いお母さんが現れ、リンゴ売りのおばあさんと子どもが現れ、声が聞こえました。 「マルチン、私がわからなかったのかい。あれは私だったのだ。」マルチンの心は喜びでいっぱいになりました。 ロシアの文豪トルストイの「靴屋のマルチン」、「愛あるところに神あり」です。物語は、聖書の御言葉で終わります。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」マルチンは、最も小さい者の一人にしたことを通して、キリストに仕えたのです。 やがて世の終わりがきます。その時、いと小さき人々のうちに隠れていたイエスは、もはや隠れたお方ではなく、明らかなお方として私たちの前においでになります。その時、私たちはイエスから、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言われる者になるか、あるいは「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」と言われる者になるかが、問われるのです。 主は私たちにも語っておられるのです。「明日、あなたの所に行くよ。」毎日がキリストの再臨の日であるかのように、私たちも、私たちのカルカッタで、愛に生きることができますように。 今日は長い文章になってしまいましたが、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。 明日は8月のオープン礼拝です。ぜひお出かけください。