土の器

宮本牧師のブログ

彼をどこに置いたのか。

エスは涙を流されました。私たちも涙をこぼすことがあります。私たちの心を洗い清めるような大切な涙も、喜びや感動の涙もありますが、心を沈ませ、死に至らせるほどの悲しみと絶望の涙もあるでしょう。その根本的な問題が、ラザロがいなくなったことなのです。イエスは、泣きじゃくるマリアに「ラザロをどこに葬ったのか」と尋ねています。口語訳聖書では「彼をどこに置いたのか」と訳されています。彼とは、ラザロのことですが、ラザロとはヘブライ語でエルアザル(神の助け)という意味です。 今年はマルチン・ルターによる宗教改革から500年の記念の年ですが、彼について有名なエピソードがあります。ある時、彼が意気消沈し、うなだれている様子を見た彼の妻が、喪服を着て家の中を歩いていたというのです。ルターは慌てて、誰かが亡くなったのかと尋ねるのですが、賢い彼の妻はひと言、「あなたの神が亡くなってしまわれました」と答えたそうです。あまりにも落ち込んで、くよくよしているルターに、彼女のひと言は天からの声となり、彼は歴史的な宗教改革を推し進める前に、自らの心の内に宗教改革を経験したという話しです。 彼をどこに置いたのか。ラザロ、神の助けをどこに置いたのか。あなたはあなたの神とその助けをどこに置いてきてしまったのですか? 御言葉が響きます。「誇る者は、この事を誇るがよい、目覚めてわたしを知ることを。」 デボーションガイドの次号の校閲が終わったので、1時間ほど、教会の案内を配って来ました。 風は冷たかったですが、日射しは暖かかったです。