土の器

宮本牧師のブログ

一番短い節

イエス・キリストは涙を知っておられます。ヨハネの福音書は一貫してイエスが神の子であることを証しする書ですが、イエスが疲れ、渇き、涙する姿を描くことをためらいません。彼はイエスが人となれた神の子であることを大胆に証しするのです。

旧新約聖書66巻は1189章、約31173節から成ります。聖書に付けられている章や節は、500年ほど前に便宜上付けられたもので、そこに神学的な意味があるわけではありませんが、聖書で最も短い節と言われているのが、このヨハネの福音書11章35節です。「Jesus wept(イエスは涙を流された)。」

涙には、私たちの心を洗い清めるような大切な涙もありますが、心を沈ませ、死に至らせるほどの悲しみと絶望の涙もあります。その根本的な問題は、ラザロを葬ってしまったことです。「ラザロをどこに置きましたか。」ラザロとは「神の助け」という意味です。あなたはどうして泣いているんですか?「ラザロ(神の助けが)が亡くなってしまったからです。」これが涙の原因です。

宗教改革者マルチン・ルターについて、こんなエピソードがあります。彼がその働きに行き詰まり、意気消沈していた時のことです。彼の妻が、喪服を着て家の中を歩いていました。ルターは慌てて、誰かが亡くなったのかと尋ねるのですが、賢い彼の妻は、彼の信仰に一石を投じます。「あなたの神が亡くなってしまいました」と。

あまりにも落ち込んで泣いてばかりいるルターに、彼女のひと言が天からの声となり、彼は歴史的な宗教改革を推し進める前に、自らの心の内に信仰の革命を経験したのです。
私たちはもっとイエスの涙に、神の愛の涙に信頼し、ゆだねましょう。「Jesus wept」これは聖書の中で、最も短い節かも知れませんが、最も感動的な節です。この短い一節に秘められた神の愛の深さははかりも知れません。今日もイエスの目に、神の助けを失ったあなたのために流される涙が光っています。やがて勝利と喜びに変えられていく涙が。