土の器

宮本牧師のブログ

最初の説教

詩編110編は、新約聖書に最も多く引用される詩編のひとつで、マタイ福音書22章も含め7箇所で引用されています。いずれもメシアの神性を強調する文脈での引用です。特に、1節の言葉は、イエスが用いたと共に、使徒言行録の2章において、ペトロが引用しています。それは、ペンテコステの朝、聖霊の降臨の直後になされたペトロの最初の説教においてです。最初の部分は、預言者ヨエルの言葉が引用されるところで有名ですが、説教の中心はキリストの十字架と復活です。ペトロは、キリストの証人として、主の十字架と復活を力強く証します。それは、なぜ聖霊が注がれたのかという理由の説明です。ペトロは説教の最後に、詩編110編を引用して語ります。 「ダビデ預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活についても前もって知り、『彼は陰府に捨ておかれず、その体は朽ちることがない』と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人なのです。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで。」』だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけたイエスを、神は主とし、またメシアともなさったのです。」 これがペンテコステのメッセージです。今やイエスは神の右に上げられ、主とあがめられました。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださるのです。