土の器

宮本牧師のブログ

わたしの名によって

ゲッセマネの園に向かう道すがら、イエスは弟子たちとの新しい関係について、また聖霊の派遣とその働きについて詳しく話されました。そして、「しばらくすると、わたしを見なくなるが、しばらくすると、わたしを見る」となぞかけのような言葉によって、やがてイエスの十字架と復活を通して、弟子たちに与えられる永遠の喜びについて語られました。イエスの十字架と復活、それは新しい時代の到来を告げる、全く新しい喜びをもたらすのです。イエスは、この全く新しい喜びがもたらされる理由として、弟子たちの祈りが変えられることを教えています。同じような内容が14章でも、15章でも触れられていますが、その間に深められてきた弟子たちとの対話によって、その意味も深められています。 「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。」「わたしの名によって願うならば」と言うところが、詳訳聖書ではこう訳されています。「私の父はあなたがたが私の名によって〔「私は有る」という者のすべてによって〕求めるものはなんでも与えてくださる。」イエスの十字架と復活、そして聖霊の派遣を通して、イエスの名によって祈る時代がやって来ます。24節も詳訳聖書で、「今まで、あなたたちは私の名によって〔「私は有る」という者のすべてにたよって〕何一つ願ったことはなかった。〔しかし今は〕願いなさい<絶えず願い続けなさい>。そうすればいただくことができる。」 なぜなら、イエス・キリストの名によって祈る祈りは、イエスの祈りとなるからです。聖霊を受けたペトロとヨハネは、イエスに言われたとおり、イエスの名によって、「私は有る」という者のすべてにたよって祈り、求め始めました。「金や銀はわたしにはないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と。「すると、たちまち、(生まれながら足の不自由な)男は・・・躍り上がって立ち、歩き出した」のです。ペトロは御霊にあふれて言いました。「イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。」「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、・・・(何者にも)与えられていないのです」と。 今週も暑さが続くようです。水分、睡眠、御言葉をしっかりとって、元気にお過ごしください。 今週も大切なことを大切に。