土の器

宮本牧師のブログ

パウロの回心とわたし

偉大な使徒パウロは、私たちの内に与えられている聖霊について、それは計り知れない神の力であるということを、くり返し教えます。実際、彼はその力を生かして、あの素晴らしい神の働きを行いました。そこで質問です。私たちに与えられている聖霊と、パウロに与えられていた聖霊は別物なのでしょうか。そうではありません。ちがいはその計り知れない神の力を何のために使えば良いかがわかっているか、いないかのちがいのように思います。そこで「パウロの回心と私」と題して、使徒言行録第9章から御言葉を学びたいと思います。使徒言行録第9章、パウロの物語が私たちの物語となりますように。 ステファノの殉教を境に、エルサレムの教会に大迫害が起こりました。その急先鋒がサウロです。彼はエルサレムの信徒たちの多くが、シリアのダマスコに逃れたと聞き、ダマスコへの道を急いでいました。そして、彼が町の門に近づいた時のことです。突然、真昼の太陽よりも明るい、天からの光が彼を巡り照らしました。すると、光の中から、十字架につけられて死んだ人だと思っていたイエスが、しかも死人の中からよみがえられ、今も生きておられるイエスが、彼の前にお立ちになったのです。 彼は語りかける声に向かって、「主よ」と叫び、ひれ伏しました。声の主は言います。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」と。復活のキリストがサウロに現れたのは、彼を責めるためではなく、この後、彼がなすべきことを知らせるためだったのです。 彼がダマスコの町に入って三日目、アナニアというイエスの弟子が彼を尋ねました。サウロは祈っていました。アナニアはサウロの上に手を置いて言いました。「兄弟サウロよ、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが聖霊に満たされるために、私をお遣わしになったのです。……そこで今、なんのためらうことがあろうか。み名をとなえて、聖霊を受け、あなたの罪を洗い落としなさい。」すると目から鱗のようなものが落ちて、パウロは即座に聖霊を受け、神の御名が彼の心の核心に印されました。だから、パウロ聖霊の証印と言うのです。パウロを生かしていた命の原理がまったく新たにされました。「だれでもキリストにあるなら、その人は新しくつくられたものである。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのです。」「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」 今週も大切なことを大切に。