土の器

宮本牧師のブログ

聖霊のバプテスマ

アナニアはサウロに言いました。「兄弟サウロ。あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが……聖霊に満たされるためです。」
聖霊に満たされるとは、どういうことでしょう。土の器である私の上に、生ける水である聖霊が注がれることでしょうか。それも間違いではないのですが、十分ではありません。ここに大小2つの器があります。小さな空の器を水が満ちた大きな器の中に沈めてみましょう。小さな器は内側も外側も水でいっぱいです。これが満たされた状態です。つまり聖霊である神の中に、私たちを沈めることです。聖書は、聖霊バプテスマと言いますが、「バプテスマ」という言葉は、沈める、浸す、一体化するという意味です。
ところで、イエスは、なぜ弟子たちにされたように、直接彼に息を吹きかけて、「聖霊を受けよ」と言われなかったのでしょうか。それは、パウロがこれから後、キリストの証人となり、この福音を伝達していくために、すばらしい奥義を体験させるためでした。そのすばらしい奥義とは、聖霊を受け、心の核心に御名を印され、キリストの内住・現存の体験を持っている使徒は、もうひとりのキリストであるという、このすばらしい現実です。
この奥義を信じたパウロは、すぐ諸会堂で「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝え始めました。そしてパウロの行く所、何処においても、人々は福音を聞き、イエスを神の子、キリストと信じて、御名によって聖霊を受けていったのです。
「あなたがたは信仰にはいった時に、聖霊を受けましたか」、人々が「聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えると、パウロは、ちょうど自分がアナニアからされたように、人々の上に手を置いて祈りました。「愛する兄弟姉妹たちよ、イエスの名によって、聖霊を受けよ。聖霊に満たされよ」と。

明後日の礼拝は、6月のオープン礼拝です。教会は初めてと言われる方も、ぜひお出かけください。歓迎します。