土の器

宮本牧師のブログ

いつも全力を注いで

深草での4年間の働きを終え、新任地に出発しようとしています。コロナ禍で集会を閉じたり、礼拝を分散で行ったり、普通ではない4年間でしたが、主の憐れみと、いつも祈ってくださるみなさんに支えていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。
堺でも、初心を忘れず、日々心熱くして、主にお仕えしたいと献身の思いを新にしているところです。
こんな話を読みました。クリスチャンの多くは、自動速度調整式に神に従っています。最近は、指定速度を自動的に維持する機能のある自動車があります。望む速度まで加速し、自動速度調整ボタンを押すと、その速度が維持されるのです。このように、多くのクリスチャンは自分の行動がある水準に至るまでは従順のアクセルを踏みますが、その速度は他のクリスチャンの行動水準によって決定されます。自分の霊的水準が遅れを取るのは望みませんが、先立とうという努力はしません。従順が水準に達すると、心で自動速度調整ボタンを押して緊張を解きます。そうすれば、みことばというメーターをのぞき込まなくても、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くしてあなたの神である主に従おう」と努力して、疲れ果ててしまうことがありません。
このこととは対照的に、サーキットのレーサーは、もっぱら運転だけに焦点を合わせます。つねに足をアクセルの上に置き、車の性能の許す限り最高速度で走ろうとします。目はいつもコースを見つめ、コーナーを回るときはすべての技術を総動員します。信仰においても、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くしてあなたの神である主を愛する」とは、このように神を愛することだと言えます。私たちには、心と思いと知性を尽くして主に従おうとする熱い思いが必要です。持てるすべてを総動員して、神に従わなければなりません。
献身をめざした頃から、ずっと大切にしてきた御言葉を記しておきます。
「いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはない。」(Ⅱコリント15:58口語)
「熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。」(ローマ12:11−12口語)