土の器

宮本牧師のブログ

これが私の舞台だ

東日本大震災から13年が過ぎましたが、震災の4年後に福島のいわき市にある小さき群れ教会を訪れました。その時、すぐそばに建てられた教会を紹介していただきました。福島第一原発の最も近くに立っていた教会で、避難して来られ、新しい会堂を建てられたということでした。その教会の佐藤彰先生は、たくさんの本を書いておられるので、私も知っていました。『選ばれてここに立つ』は震災の翌年に出版されたものです。

いつ頃からか、教会の人に、「私たちは選ばれたんだ」と言うようになりました。なんで福島第一聖書バプテスト教会という名前なのか。なぜ後からやって来た原発が地名で呼ばれずに「福井島第一原子力発電所」なのか。……教会に赴任して30年。心血を注いで建て上げてきた教会が一夜にして失われたのです。……教会は一巻の終わり。終結宣言をするのだと思い、本当にボロボロの敗残兵のように打ちのめされていたのです。が、うちの娘が、あの緊張の最中メールを寄こして来たんです。「お父さん、私毎日泣いています。ほんとうは飛んでいきたいけど、私の分まであの人とこの人を励まして来て。お父さんが牧師になってあの教会に行ったのは、この時のためだったと私は思うよ。」
旧約聖書エステル記という短い書があります。歴史のいたずらか、エステルはユダヤ人であるのにペルシア王の妃になりました。しかし、ユダヤ人を嫌う宰相ハマンの悪計によって同胞が虐殺されそうになった時、「救えるのはあなたしかいない。あなたがこの地位についたのは、この時のためだったのではないか」と養父のモルデカイに迫られました。王妃といえども、王の許しなく玉座に近づくことはできません。その法令に背くことは死を意味しました。しかしこの危急の時にあたって彼女は腹をくくり、「たとえ法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます」と決意しました。そしてその結果、奇跡を見ることになりました。
私もまた、まさに自分が福島第一聖書バプテスト教会の牧師になったは、この時のためだったのだと腹をくくったのです。……涙がボロボロと流れました。「よし、二度と言うまい。口が裂けても言うまい、なんでこんな目に遭うんだとは。これが私の人生だ。これが私の舞台だ。やるだけやろう」と決めたのです。
そこから教会再生のストーリーが始まります。
神の選びによって、私たちはこの時代に、それぞれ置かれた場所に植えられました。それは偶然ではなく神の必然なのです。イエスは言われます。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選んだのである。(わたしのしもべヤコブのために、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたを、あなたの名で呼ぶ。)それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです」と。