土の器

宮本牧師のブログ

この時のためにこそ

「お父さん、・・・お父さんが牧師になってあの教会に行ったのは、この時のためだったと私は思うよ。」 東日本大震災の直後、ある牧師は娘さんからこんなメールを受け取り腹をくくったと証ししていました。 「これが私の人生だ。これが私の舞台。やるだけやろう」と。 みなさんは旧約聖書に登場するエステルの物語をご存知でしょうか。聖書は66巻からなりますが、女性の名前が付けられている書が2つあります。ルツ記とエステル記です。どちらも短い書物ですが、神の選びとその目的について深い内容を含んでいます。 エステルの物語。時は紀元前480年頃(キュロス王の勅令によりバビロンからエルサレムに帰還した人々によって第二神殿が建てられていく時代)。舞台はエルサレムから1500キロも離れたペルシア帝国の首都スサ。時の王クセルクセスは、帝国の栄華を誇示するため、インドからアフリカに至るまで、127州すべての支配者を集め、180日に及ぶ宴会を開きました。その席で、酔った王は王妃ワシュティの美しさを見せるために彼女を呼び出しました。歴史家たちは、王妃は王冠以外の何も身に着けずに出てくるように命じられたと言っています。それを断った王妃は位を剥奪され、王宮から追放されてしまいました。 それから2年、新しい王妃を選ぶためにミス・ペルシア・コンテストが開かれ、若きエステルが王妃として選ばれます。幼い時に両親を失った孤児であるエステルは、いとこのモルデカイに引き取られて育てられました。そんな彼女にとって、これはシンデレラストーリーです。 クセルクセス王の次に帝国で権威を持っていたのが、首相のハマンです。彼は権威と力を愛し、ペルシア帝国のすべての住民が自分の前にひざまずくことを求めました。しかし、皆がひざまずく中で、あのモルデカイだけが彼を拝みませんでした。理由を問われたモルデカイは、自分は神を信じるユダヤ人であって、神以外の何ものをも拝まないと答えます。そこで怒り狂ったハマンは、王をだまし、ペルシア帝国中のユダヤ人を根絶する法律を作り執行します。歴史家によれば、当時、ペルシア帝国全土にユダヤ人が1500万人いたと言います。ヒトラーによるホロコーストが600万人ですから、倍以上のユダヤ人の命が死の危険にさらされたことになります。 モルデカイは、ユダヤ人撲滅の命令が出された時に、すでに王妃であったエステルにそれを知らせ、王に頼んでその法律を取り消してもらうようにと進言しました。しかし、王妃とは言え、王に呼ばれていないのに、王の庭に入ることは許されていませんでした。もし、許しなくそこに入るなら、王妃であっても死を免れません。ただ、王が金の笏を差し伸べられる場合のみ、その者は死を免れます。 若きエステルは、スサにいるすべてのユダヤ人に三日間の断食を願い、三日後、決死の覚悟で王の庭に立ちます。エステルは神の御心に従わずに生き延びることよりも、神の御心に従って死ぬことを選んだのです。王は王の庭に、ロイヤルドレスを身に着け、背筋をピンと伸ばし、使命に燃えて立つエステルを見て驚きます。王は手にしていた金の笏をエステルに向かって伸ばし、彼女はそれに触れました。 聡明なエステルは王とハマンを呼んで二晩に渡って宴を催します。二日目、エステルは、「私の命と私の民族の命をお助けください」と王に訴え、自分がユダヤ人であること、ユダヤ人絶滅の命令を出したのがハマンであることを王に告げました。こうして、ユダヤ人絶滅計画がギリギリのところで食い止められたのです。このユダヤ人救済を記念して祝われるのがエステル記を起源とするプリムの祭りです。 ところで、エステル記には、エステルの名前が56回も、そしてモルデカイの名前が、それ上回る61回も出て来ますが、一度も出て来ない名前があります。それは神です。エステル記には、「神」という文字が一度も出て来ません。これはエステル記を聖書の正典として認めるか否かという時にも問題になりましたが、たとえ神という文字が無くても、エステル記ほど、歴史を動かし、支配しておられる神の指が現されている書は他にないという結論に達しました。 もし神がおられるのなら、どうしてこのような事が起こるのか、答えが見えなくて苦しんでいる人がいるなら、エステル記は、私たちの人生のハッピーエンドを知っている目に見えない神がいることを私たちに伝えます。 あの絶体絶命の危機の中、モルデカイはエステルに伝えました。「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」と。 それに対するエステルの答えです。「早速、スサにいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために三日三晩断食し、飲食を一切断ってください。(これは単なる願掛けではなく、決死の祈りです。)わたしも女官たちと共に、同じように断食いたします。このようにしてから、定めに反することではありますが、わたしは王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」 選びの目的の第一は、枝として実を豊かに結び、その実がいつまでも残ることです。私たちが結ぶべき実には、いくつもの意味がありますが、渡辺和子先生の言葉によれば、「咲く(実を結ぶ)ということは、仕方がないと諦めることでなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすること」です。エステルは、自分の幸せだけではなく、人々の幸せのために、「この時のためにこそ」という神の選びと神の時に身を委ねたのです。私たちも誰かの幸せのために、神の選びと神の時に身を委ねようではありませんか。 今日は長くなりましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 今週も大切なことを大切に。