土の器

宮本牧師のブログ

どう思うか。

エルサレム入城から2日後、受難週の火曜日(十字架の3日目前)の出来事が続きます。神殿の境内における宗教家たちとの論戦も、ここで終了します。この後、「もはやあえて質問する者はなかった」からです。最後の出題は、攻守が入れ替わって、イエスの方から投げかけられたものでした。イエスは集まっていたファリサイ派の人々に尋ねます。「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか」と。 メシアとは救い主、キリストのことですが、これは私たちにとっても大切な問題です。ファリサイ派の人々は教科書どおり、「ダビデの子です」と即答しました。これは彼らにとっては常識であって、ここまではだれでも答えられました。次の質問が問題でした。「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。」 イエスダビデの詩と言われる詩編110編の引用して言葉を続けます。「主は、わたしの主にお告げになった。(主が二度出てきますが、ミスプリントでも、訳し間違いではありません。最初の主は神のことであり、二つ目の主はメシアのことです。)『わたしの右の座に着きなさい、わたしがあなたの敵を、あなたの足もとに屈服させるときまで』と。このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアが(あなたがたの言う)ダビデの子なのか。」 これにはだれ一人、ひと言も言い返すことができませんでした。イエスの問いかけが彼らの伝統的なメシア思想の急所を突いた質問だったからです。