土の器

宮本牧師のブログ

ダビデの主

ユダヤ人にとって「ダビデの子」とは、メシアの称号の中で最もポピュラーなものでした。マタイは、この福音書を「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリスト系図」という印象的なフレーズで書き始めています。カナンの女も、エリコの盲人も、エルサレムの群衆も、イエスを「ダビデの子」と呼んで、その信仰を言い表しました。イエスもそれを受け入れました。旧約の預言者たちも、メシアは、ダビデの子孫から生まれ、その王国を再建し、イスラエルに繁栄をもたらすと語っています。メシアはまちがいなく「ダビデの子」であり、その呼び方は正しいものです。 しかし、その呼び方は、イスラエルの長い苦しみの歴史の中で、次第に歪められたメシア観を生み出していたのも事実でした。彼らは、メシアを英雄ダビデになぞらえて、政治的な、あるいは軍事的な指導者として期待するようになっていたのです。特にイエス・キリストの時代は、ローマ帝国支配下にあって、よりその期待が強かったのです。 このように、彼らは、メシアがダビデの子であると、彼らなりに理解をしていましたが、それはどこまでも地上的なメシアであって、メシアの神性(神の子であること)については、まだベールに包まれていたのです。そのために、ダビデがメシアを「わたしの主」と呼んでいる理由が理解できなかったのです。ここにユダヤ人のメシア思想の誤りがあり、限界がありました。 そこでイエスは、メシアがダビデの子であると同時にダビデの主、神の子であることを、人性と神性を兼ね備えた存在であることを、ダビデ自身の言葉を通して指摘されたのです。では、ダビデが「わたしの主」と呼んだメシアとは誰のことでしょう。それはイエスのことです。パウロがこう言っています。「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちのイエス・キリストです。」Amen.