同じ方向を
今週の祈祷会も、全国中高生大会のメッセージから、御言葉はルカによる福音書の18章です。
18:35 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。
18:36 群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。
18:37 「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、
18:38 彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。
18:39 先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。
18:40 イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。
19:41 「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。
18:42 そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」
18:43 盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。
イエスの言葉によって、たちまち見えるようになった盲人だった男は、神をほめたたえながらイエスに従う。♪われ知るかつては 闇にありしが 目は開きて神をほむ 今はかくも。♪ その歌を止めさせることはだれにもできない。しかし、この物語は、盲人の開眼と彼の賛美で終わらない。男は次のステージに進んで行く。彼はイエスに従う。
イエスと並んで、あるいはイエスの後ろから。彼はもうイエスの顔を見ているのではない。彼の目はイエスが見ているものを見ている。サン・テグジュペリのこんな言葉を思い出す。「愛とは、互いに見つめ合うことではない。ふたりが同じ方向を見つめることである。」この夏、主の御顔をもっと見させてほしい。でもそれで終わりではない。主が見つめているものを私も見たい。二人が同じ夢を見るとき、それはもう夢ではなく、現実のものとなるのだから。