土の器

宮本牧師のブログ

焦点を変える

「主よ、それでも、あなたはわたしの盾、わたしの栄え、わたしの頭を高く上げてくださるかた。」 それまで問題の現実を切々と語っていたダビデが、まるでそれを打ち消すかのように、「主よ、それでも(口語訳では「しかし、主よ」)」と告白したとき、すべてが変えられていきました。具体的には三つのことが変わっています。これはエラの谷の出来事のおさらいにもなります。 第一に、ダビデは目に見える現実ではなく、目には見えない神の現実に目を向けました。彼の焦点が変わったのです。私たちはすぐ問題そのものにフォーカスをあてるのではないでしょうか。そして、まるで虫眼鏡をあてるかのように、問題に集中し、問題を分析します。その結果、問題が本来よりも大きく見えてしまうのです。ダビデの現実は、息子アブサロムに追われ、「彼に神の救いはない」という敵の数が日増しに多くなっているということでした。 しかし、ダビデが「主よ」と言ったとき、彼は目に見える現実ではなく、もう一つの現実、神の現実に焦点を移したのです。だから、ダビデはイエスについてこう言っています。「わたしは、いつも目の前に主を見ていた」と。