土の器

宮本牧師のブログ

話をしよう。

「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。」(マタイ6の22)
少年ダビデ預言者サムエルの前に立った日のことを覚えていますか。「彼(ダビデ)は血色が良く、目は美くし、姿も立派であった」と書かれていました。目が美しかったというのは、とても印象的です。美しい澄んだ目です。イエスが山上の説教で話された「澄んだ目」とは、一つのものに集中すること、単焦点のことです。神はたくさんの中のひとつではなく、これしかないという絶対的なひとつです。
山上の説教では、この後、「思い悩むな」という教えが続きます。「思い悩む」とは、「思い」と「分ける」の合成語なのですが、ありとあらゆる方向に思いが分散し、引かれていく状態を意味します。単焦点ではなく、多焦点です。ちなみに、英語の心配、「worry」とは、窒息させるという言葉から来ているそうですが、思い悩む心とは、神という一点ではなく、神以外のもの、自分の姿や、人の目、環境や状況など、いろいろなものに焦点を合わせ続けて、神への信仰を窒息させるものなのです。
アドラムの洞窟の中で、ダビデは「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう」と歌いました。すると、神との深い対話が始まりました。「心よ、主はお前に言われる。『わたしの顔を尋ね求めよ』と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。」
リビングバイブル(日常語訳)はユニークな訳ですが、これも深いです。「『ここに来なさい。話をしよう。』この御声を私は聞きました。そして答えます。『主よ、参ります。』」だからダビデは、イエスについてこう言っているのです。「わたしは、いつも目の前に主を見ていた」と。

全国で新型コロナウイルス感染者が増えています。お互いに、うつらない、うつさない行動を心がけましょう。 次の日曜日も人数制限をしての分散礼拝を行う予定ですが、YouTubeによる配信を続けていますので、リモートで参加できる方は積極的に利用してください。第1礼拝は10時から、第2礼拝は11時15分から、それぞれ45分ほどの集会になります。