土の器

宮本牧師のブログ

召命

記念聖会で語られたモーリス・ズンデルの言葉が心に響く。 私のうちに主の人性の延長が行われ、今日の歴史の中にイエスが現存されるために、私の存在自体が主に浸透されるものとならねばならない。「私にとって生きるのはイエス・キリストである。」キリスト者のすべての完全さはそこにある。・・・キリスト者の召命は神の顔となること。教会とは私たちであって、自分が生きた福音となる責任を感じながら、一人一人が他の人々にとって神の顔となるように努めるなら、今日の世界には喜びがあるであろう。人が救われるのは説教によってではなく、現存によってである。そしてこの現存は人間の顔をとおしてしか現れない。 ---「沈黙を聴く」現代の神秘家 モーリス・ズンデルの人と霊性 40年前の献堂聖会では「神の傑作」というメッセージが語られ、今回は「神の顔」というメッセージが語られた。主の不思議な導きを感じた。名匠は作品に名を残すもの。その名に恥じぬように、神の作品として生きたい。神の顔となれますように。 今回、献堂当時から教会を支えてくださった方々に、いろいろな形で聖会や祝賀式典に携わっていただいた。礼拝では40年の歴史をふり返って証もしていただいた。その時その時、教会の必要のために犠牲を払い、また牧師とその家族のことを気遣い、祈り支えてくださる信徒の存在があったことを改めて知らされ、感謝の思いでいっぱいになった。教会とはそういう場所だ。