キリスト者の召命
今週も祈祷会をたいせつに。御言葉をシェアします。
ヨハネによる福音書の12章から。
12:23 イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。
12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
昨日までの会議で取り組んでいたメッセージの一部を学ばせていただきました。
モーリス・ズンデルの言葉は心に響きます。
私のうちに主の人性の延長が行われ、今日の歴史の中にイエスが現存されるために、私の存在自体が主に浸透されるものとならねばならない。「私にとって生きるのはイエス・キリストである。」キリスト者のすべての完全さはそこにある。・・・キリスト者の召命は神の顔となること。教会とは私たちであって、自分が生きた福音となる責任を感じながら、一人一人が他の人々にとって神の顔となるように努めるなら、今日の世界には喜びがあるであろう。人が救われるのは説教によってではなく、現存によってである。そしてこの現存は人間の顔をとおしてしか現れない。
---「沈黙を聴く」現代の神秘家 モーリス・ズンデルの人と霊性