土の器

宮本牧師のブログ

わたしはある

聖書が伝えるモーセの生涯は実に波瀾に満ちています。40歳になったとき、エジプトで奴隷として虐げられている同族イスラエルの民を助けようと思い立ちますが、苦い失敗と挫折を経験し、逃亡者となり、荒野で羊を飼う者となりました。かつてはエジプトの王子、でも今はしがない羊飼い。待つことは長く40年、80歳になったモーセはもう何も期待できないと感じていたにちがいありません。そんなモーセが、燃え尽きない柴と出会って、そこから語りかけられる神と出会って、敗者復活の人生を始めます。神はモーセに、出エジプトという壮大な計画について語り、エジプトで苦しむイスラエルの民を約束の地に導き上るように命じます。モーセは今ある無力な自分の姿を見て、「私は、いったい何者でしょう」と答えるしかできませんでしたが、語りかける神にその名を尋ねると、神はその名を告げられたのです。「わたしは『わたしはある』という者である。」それは私たちの無を、瞬く間に満たすことのできる神の御名でした。まさに、それは無と有との出会いでした。
「わたしはある」と訳される「エヒエー」というヘブライ語は、「ハヤー(ある)」という言葉の一人称単数未完了形ですが、単に未来をあらわすだけではなく、ある事柄が継続した状態をあらわし、過去、現在、未来のいずれにも用いられる不思議な言葉です。ユダヤの伝承によると、ここで「エヒエー」が二度くり返されるのは、神が現在の苦しみからだけではなく、過去、未来のいかなる苦難からも私たちを解放することができることを保証しておられるからです。私たちの人生に、過去・現在・未来に渡る、様々な悩みや苦しみがあったとしても、「わたしはある」と言われる方は、あなたをその苦難から解放することがおできになるのです。主はあなたに仰せられた。「わたしは『わたしはある』。これが永遠にわたしの名。これが代々にわたり、わたしの呼び名である。」