土の器

宮本牧師のブログ

泣きたいほどの神秘性

エスが自ら語られた聖霊の派遣とその働き(使命)が続きます。
「その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
聖霊は、父なる神からすべてのものを譲渡された神の御子キリストからすべてを譲渡されて、それを私たちに知らせます。ここに三位一体の神秘がシンプルに語り尽くされています。私の書斎には、20冊ほどヨハネ福音書の注解書や説教集がありますが、この御言葉を具体的に取り上げているものは、ほとんどありませんでした。ところが大槻牧師が書かれた『言泉集』だけは、この言葉をくり返し取り上げ、三位一体の神秘をみごとに解き明かしているのです。ロゴスなる神との出会いを通して、その神秘を実体的に体験されたからです。
キリスト教神学において、最も難解なテーマは三位一体論である。それであるがゆえにアウグスティヌスは、聖書を引用し、またあらゆる例をたくみに駆使し、三位一体論を解説する努力を試みている。正直に言ってその三位一体論を読むこと、さらに理解するためには、私自身忍耐と労苦を必要としたのである。幸いにして啓蒙されるところが多くあった。 しかし、それは美しい上高地の油絵を見たに等しい。それは写像であって原像・実体ではない。上高地の風景画を見たのみでは、奥穂高岳前穂高岳が三千メートル級の山であることも、梓川の清流の美しさもわからず、その流れの音も聞こえない。現地で体験する、泣きたい程の神秘性に打たれるあの感動は起こってこないのである。写像と実像、影と実体との相違である。写像の役割は、ある程度の予備知識を与えることであり、実像へと誘うことであろう。」

今日から12月、次の日曜からクリスマスを待ち望む待降節に入ります。