土の器

宮本牧師のブログ

三位一体

政治、スポーツ、最近ではアニメなどでも「三位一体」という言葉が使われていますが、もともとはキリスト教の専門用語です。ところが、聖書の中に「三位一体」という言葉を見つけることはできません。これはどこまでも神学的な用語です。しかしその言葉は見つけられなくても、そのコンセプトは見られます。
三位一体の神を信じているかどうか、簡単にテストができます。信じる人はアーメンと答えてください。「神は唯一ですか?」アーメン。「父なる神は神ですか?」アーメン。「イエス・キリストは神ですか?」アーメン。「聖霊は神ですか?」アーメン。たとえ三位一体という言葉がわからなくても、これで三位一体の神を信じていることになります。これが重要です。
ヨハネ福音書14章16節の中にも三位一体を見ることができます。弟子たちがイエスを愛し、その戒めを守ることができるように、父なる神は、イエスとは別のもう一人の助け主を遣わし、永遠に弟子たちと一緒にいるようにしてくださるというのです。「もう一人の助け主」とは真理の御霊、聖霊なる神のことです。
「もう一人の助け主」、ギリシア語の「アロス・パラクレートス」はバラエティに富んだ言葉で、詳訳聖書では7つの言葉で訳しています。「父は……もうひとりの慰め主〈助言者、助け主、とりなす者、弁護者、激励者、援助者〉を与えられる。」
「アロス・パラクレートス」の「アロス」とは「別の」「もうひとりの」という意味です。しかし、別は別でも同質のもの、つまりイエスと寸分違わない存在ということです。「パラクレートス」の「パラ」は「傍らに、側に、近くに」という意味で、「クレートス」は「呼ばれたもの」という意味です。つまり、私たちのすぐそばに立ち、私たちを助け、励まし、慰めるために呼ばれた存在。それが「もう一人の助け主」です。
今日も聖霊は、弱い私たちを助けてくださいます。重荷を負って苦労している人、自分の弱さに泣いている人を、助け励まし慰めるために、私たちのすぐそばに来てイエスの愛をもって包んでくださるのです。
この三位一体の神が、いつまでも私たちとともにいてくださるので、私たちはイエスを愛し、その戒めを守って生きることができるようになるのです。