土の器

宮本牧師のブログ

すべてのことを教え

「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」ここでも「弁護者」は、ギリシア語の「パラクレートス(傍らに呼ばれた者)」で、詳訳聖書ではこの箇所も7つの訳を当てています。「しかし、慰め主〈助言者、助け主、とりなす者、弁護者、激励者、援助者〉、すなわち、父が私の名によって〈私の代わりに、私を代表して、私に代わって働くために〉つかわされる聖霊は、あなたたちにすべての事を教えてくださる。また彼は私があなたたちに語った事をことごとく思い起こさせ〈思い出させ、記憶によみがえらせ〉てくださる」と。 「すべてのことを教え」という言葉を、ある聖書注解者は「情報の量ではなく、深みにおける十分さのことである」と説明していました。たとえば、新聞の情報には限界があります。書かれている情報の量、言葉だけではわからない、その背後にある意味があって、その深みに導いてくれるのが聖霊だと言うのです。 宣教師の家庭に生まれ、自身も神学校で学んだことのあるウイリアム・ポール・ヤングが子どものためにルーズリーフに書いた物語があります。やがてその物語が自費出版されると、人生を変える本と言うこと口コミで広まり、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストで、70週連続1位を記録します。それが小説「神の小屋」です。このストーリーが昨年映画化され、日本の役者さんも出演したことで話題になりました。 主人公のマックは、可愛い3人の子ども、信仰深い妻に囲まれ幸せに暮らしていました。ある休日、3人の子どもたちとキャンプに出かけたときに悲劇が起こります。末娘のミッシーがキャンプ場でいなくなったのです。捜索開始から数時間後、廃れた山小屋の中で、ミッシーの血に染まったドレスが発見されます。その残された証拠から連続殺人犯の犯行であると判明。4年後、大いなる嘆きの中にあった彼のもとに奇妙の手紙が届きます。「しばらくだね。ずっと会いたいと思っていたんだよ。もし、お前も会いたいと思ってくれるなら、次の週末、私はあの小屋にいるよ。パパより」。パパというのは、この小説では父なる神のことです。これは殺人犯のいたずらか、ほんとうに神からの招待状なのか。悩みに悩んだ挙げ句、マックは一人でその山小屋に行きます。そして、そこで待っていたのが人生を変える神との出会いでした。 この物語には神の三位一体が巧みに描写されています。神学的には色々な意見があることは承知していますが、父なる神、子なるイエス、そして聖霊、そのことをどう説明すればよいのか。クリスチャンの課題の一つです。それは理論や方程式ではなく、神が人間の痛みにどう向き合ってくださるのか。この本には、三位一体という視点から、そのことが描かれ、サスペンスとファンタジーと神学書が一つになったような感動の一冊になっています。 本の帯には「現代版ヨブ記」と書かれていますが、この本には、人間の本質的な叫びとそれに対する神からの回答が書かれています。それが、聖霊が「すべてのことを教え」という意味です。なぜミッシーは死ななければならなかったのか。神はその時、どこで何をしていていたのか、神はそれを止められなかったのか。私たちもそれぞれの人生でそんなことを感じる時があります。だれもがその心の中に、悲しい廃れた山小屋を持っているのです。でも、その小屋でこそ、神が待っていてくださり、あの思い出したくもない出来事の現場、廃れた小屋を神の小屋としてくださるのです。「そこにて我汝と出会い、汝と語る」と。 この歴史における最大の惨事は、カルバリーの十字架です。しかし、そこが神との出会いの現場と変えられました。すべての答えがそこにあります。 3月に入りました。次の日曜日、3月のオープン礼拝です。ぜひお出かけください。