土の器

宮本牧師のブログ

アバ、父よ

主の祈りは、「天におられるわたしたちの父よ」という、愛と信頼に溢れた神への親しい呼びかけで始まります。放蕩息子の物語ではありませんが、「私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」というのが、私たちの現実の姿でした。にもかかわらず、神はイエス・キリストの十字架によって、私たちの罪を永遠に贖い、神の子としてくださいました。ですから、私たちはためらうことなく神を「父よ」と呼んでもよいのです。聖書に、「あなたがたが子であるので、神は『アバ、父よ』と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました」と書かれているとおりです。
礼拝で時々紹介する『日本人に贈る聖書物語』には、主の祈りが教えられた場面が次のように描かれていました。「弟子たちは早速、その祈りを実行に移した。初めて『父よ(アバ)』と呼びかけた日、ペトロは感動の余り泣き伏した。心配した仲間の弟子たちがペトロのそばにより、どうしたのかと問うと、ペトロは鼻をすすりながらこう答えた。『俺は今まで、天の父をこれほど近くに感じたことがなかった。まるで、父の暖かい両腕に抱かれているような思いになった。ああ、アバ、アバ、アバ、アバよ。』」
ある宣教師がこう言いました。「祈りの中でまずしなければならないことは、神に抱かれることです。神の懐に抱かれれば、他のものはすべて自然について来るのです。神に抱いていただきなさい。あなたのすべてをおゆだねしなさい。そうすれば、神はあなたに祈りをそそがれます。その祈りは神の祈り、神がお答えになるしかない祈りになるのです。」
だから、こう祈りなさい。「天におられる私たちの父よ! 父よ! 父よ! 御名が崇められますように。」