土の器

宮本牧師のブログ

呼ぶべき御名

「呼ぶべき御名」別の言葉で表現すれば、「呼ぶことがゆるされた御名」ということになります。十戒の中に「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。」とあることから、次第にユダヤ人は主の御名を口にすることを畏れ、その名を呼ばなくなったといわれています。それでは、ユダヤ人が呼ぶことを畏れた主の御名を、なぜ私たちは呼ぶようになったのでしょうか。なぜ主の御名を呼び求めるだけで救いにあずかることができるのでしょうか。
それは贖いが実現したからです。神がそれを成し遂げてくださったからです。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子が上げられたからです。荒野で神の言葉を信じて青銅の蛇を仰いだ人が生きたように、イエスが十字架上で成し遂げてくださった贖いの力を信じて御名を呼ぶ時に、すべての人は救われるのです。
聖書はこう言っています。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」「成し遂げられた。」「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」
成し遂げられた贖いのゆえに、信じて御名を呼び求める者は、みな救われるのです。