ネゲブに川の流れを導くかのように
新年の御名と標語を心からあがめます。今年の御名はヨハネによる福音書11章25節、「我は復活なり命なり」です。今年、この命と希望にあふれる御名(神の種)を、まず私たちの心という畑に、涙と共に蒔き続け、自らの内にキリストの死と復活を体験し、キリストの命にあふれる者とならせていただきましょう。その人だけが、「復活の喜びを告げる、新しい歌」を歌いながら、大いなる収穫に与ることができるからです。
今年の標語、詩編126編が私たちの日々の祈りとなりますように。
126:1 主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて、
わたしたちは夢を見ている人のようになった。
126:2 そのときには、わたしたちの口に笑いが、
舌に喜びの歌が満ちるであろう。
そのときには、国々も言うであろう。
「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。
126:3 主よ、わたしたちのために
大きな業を成し遂げてください。
わたしたちは喜び祝うでしょう。
126:4 主よ、ネゲブ(荒野と砂漠に、死の世界に、いのちの)川の流れを導くかのように、
わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。
126:5 涙と共に種を蒔く人は、
喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、
束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」
お言葉通り、成りますように。
4節に「ネゲブに川の流れを導くかのように」とありましたが、ネゲブとは、イスラエルの南部に広がる砂漠地帯のことです。イスラエル建国の父ベングリオンは、まるで預言者のように「ネゲブに花を咲かせよう」「この地を緑の園にしよう」と語り、そこにキブツを作りました。ネゲブには、ワジと呼ばれる水無川、涸れ川があり、雨期になると突然そこに川が流れるのです。今年、ネゲブに川の流れを導くかのように、主が私を含め、罪や不信仰、死の力に縛られ、捕らえられている者を解き放ち、復活させてください。さあ、「わたしたちのために大きな業を成し遂げてください」と祈りましょう。