土の器

宮本牧師のブログ

金剛不壊の杖

9月19日は、大槻筆子先生の召天30周年記念日でした。聖イエス会のメンバーは筆子先生のことを霊の母と慕い、愛と尊敬を込めて「霊母」とか「お母さま」と呼んできました。30年の年月が流れ、霊母を知らない人が多くなっていますので、霊母のことをもっと知っていただきたいとの願いから、今年は『あかしびと』で霊母の特集を連載したり、DVDを出したり、『ぶどう樹』9月号でも霊母のことを紹介しました。

女学校卒業を間近にひかえたある日、転機が訪れます。校長が卒業生への訓示の中で、「困難と試練に満ちた社会に出て行くに当たり不動の信念をもっていなければ、この世の荒波を乗り越えることはできない。あなたは何をもって金剛不壊の杖としますか。一人ずつ、私のところに来て答えなさい」と話されたのです。

教室は騒然となりましたが、突然周囲の声が消え、筆子先生は何者かと対面していることを感じると、声なき声を聞きました。「天地万物の創造者、全宇宙を支配している絶対者がおられる。この方は、お前の生も死も、また運命をも掌握しておられるお方である」と。筆子先生は感動し、もし私がその方に出会うことができたならいのちをかけて従うだろうと思った瞬間、涙があふれたと手記に記しておられます。

それから数年を経て、ついにその時がきました。その日の朝、教会に向かって走る筆子先生に、「我を信ぜよ」との神の細き御声が迫ってきました。教会の中に入り、先生の顔を見るやいなや筆子先生は叫びました。「先生、私は救われたいのです。死が恐ろしいのです」と。

この時の牧師先生のおすすめはすばらしいです。

「罪のあるところに平安はありません。罪とは、真の神を信じないこと、真の神から離れていること、すげての不幸の原因は、また、悪の原因は、神と分離していることから来るのです。人間は罪の性質を遺伝的に持って生まれました。人間は罪の子、怒りの子です。『義人なし、一人だになし、……すべての人、罪を犯したれば神の栄光を受くるに足らず』と聖書に書いてあります。

罪の中に閉じ込められている人間の中より救い主を見出すことはできません。いかなる人間の方法・手段も神の前には無効なのです。そこで神ご自身が御自ら救いの道を開き、これを無代価で提供してくださいました。神は一人の滅びるをも望みたまわず、ひとり子の神、イエス・キリストを世に遣わされたのです。

キリストはすべての人の罪を負い、十字架にかかり呪われた者となられました。キリストは神と人間との間に存在していた恨みを滅ぼし、断絶を埋めつくし、神と人間を和解させる道を開かれました。イエス・キリストは言われました。『我は道なり、真理なり、命なり。我によらではだれにても父のもとに至る者なし』と。

『キリストはわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。』だれでもイエスを神の子キリストと信じ、イエス・キリストの十字架は私のためですと、受け入れるならば救われます。神の子、イエス・キリストの十字架の贖いの力は、今も昔も変わらず有効です。」

筆子先生は十字架にかかられたイエス・キリストを、私の救い主、私の神と信じました。その時、「子よ、安心しなさい。あなたの罪は赦された」との声と共に、罪と死の恐怖から完全に解放されたのです。イエス・キリストこそ、私たちが信頼してまちがいのない金剛不壊の杖です。今日もキリストの御声が迫ってきます。「我を信ぜよ。」