人間は、だれでも裸で生まれて来るわけですが、必ずしも平等にスタートするわけではありません。生まれた時から障害を持っていたと言う人もいます。ある人は病気で、ある人は事故に巻き込まれてと言うことかもしれません。現代では、心を病み、精神を患うというケースも多く見受けられます。
どうしてその人の人生にそう言うことが起こったのか。だれも納得のできる答えを持たないので、だれかが悪いことをした報い、罰を受けているという考えが支配的になります。その結果、自分を責め、親を恨み、だれかのせいにするのです。
しかし、イエスの答えは、それとはちがいました。今までだれも言ったことのない、いや、言うことのできなかった答えを、イエスを語られたのです。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」
病気の問屋と言われた三浦綾子さんは、「これを読んだ時・・・まさに暗闇の中に光が差しこんできた思いだった」と言ったのです。弟子たちの問いは、「だれが」と言うことであって、人生の苦しみ、不幸の原因と責任でした。ところがイエスは、苦しみの意味と目的について語られたのです。
あなたにも「どうしてこうなったのだろう」とその原因がわからずに苦悩していることがあるでしょうか。ある時は自分を責めたり、卑下したり、ある時は他人を責めたり、恨んだりしてはいないでしょうか。クリスチャンであっても、納得のいかない問題に、悶々とさせられることが現実にあります。