二元中継
私たちの家にもイエスのもとに持って行かなければならない問題があるでしょうか。王の役人の家には、今にも死にそうな息子がいました。できる限りの治療を試みたでしょう。でも上手くいきませんでした。私たちの現実は、いつもそうですが、大なり小なりの問題が、自分自身のうちに、そして自分の家にあります。私たちはいつイエスのもとに行くのでしょうか。私たちが毎週の礼拝で挑戦したいことは、御言葉を持って家に帰ることです。この奇跡は二元中継で進みます。王の役人がイエスの言葉を聞いて信じたのはカナの町においてでしたが、危篤の息子はカファルナウムで癒されます。ですから、王の役人は、自分に言われたイエスの言葉を信じて、それを家に持って帰えらなければならなかったのです。これが本当の礼拝です。礼拝は、この時間に、この場所で御言葉を聞いて終わりではなく、私たちが、私たちに語られたイエスの言葉を信じて、それを私たちの家に(あるいは職場に、学校に)持って帰るまで終わらないのです。なぜなら、そこが奇跡を必要としている現場だからです。そういう意味で、私たちの礼拝も二元中継です。神の現実と私たちの現実が出会い奇跡が起こる現場でこそ、イエスの栄光が最大限にあがめられるからです。
私たちは目に見えるものによらず、信仰によって(キリストの言葉を聞くことによって)歩んでいます。今、私たちの人生を永遠に変える一つの言葉が与えられ、私たちもイエスの言葉と共に歩んで行くことができますように祈りましょう。主よ、ひと言おっしゃってください。そうすればもう一度奇跡は起こります。